「休職」することを誰より許せなかったのはじぶん
わたしはいま、約8年勤めた会社を休職してます(休職して3ヶ月目)
2023年6月に「適応障害」と診断されて、一旦休むことにしました。
退職じゃなくて休職を選んだのは、
ピークにしんどいタイミングで「やめる」という大きい決断をするべきではないなと感じたから。
冷静じゃない時に大きな決断をすると後々後悔するのでは、という
自分の慎重な部分がでましたw
「ま、ちょっと休んで色々整理した結果辞めたくなったら辞めればいっか〜」と思った..って書くとなんか軽いんですけど・・
そう軽く思えたのは、
その一個前の「休職」を選ぶことこそ、とんでもなく!ハードルが!!高かった!!!!からです。
その選択したことによってあとはどうにでもな〜れと思えました。
入社してから6年目に部署異動がありまして、そこでの人間関係に躓き
「やめた〜〜〜い」と思いながら1年働いた結果、
体調を崩して「適応障害」と診断されました。
その時「療養の選択もあるよ」とお医者さんに言われたものの
会社と相談して働き方を工夫して、環境を少し変えることでやり過ごしました。
(そしてその結果ぶり返す→今回の休職)
いま思えばあの時ちゃんと休んでおけばよかったなと感じますが
あの時は「休職したと知った時の周りの目」が恐ろしくて選べなかった。
・・って、「周りの目」なんて言ってるけど、
結局は自分の中に「休職すること」への偏見がありました。
でも当時は本気で「どう思われるか」が怖かった。
いまでこそ、自分の考えを吐き出して、分解、分析して、原因をつきとめて「なるほどおー」と思う余裕ができたけど、
その当時は日々「つらい」「むり」「休みたい」「っていうか辞めたい」ばっかりで、自分がなぜそう感じるのか考えたいけど、考える余裕は皆無でした
わたしは社会的に
「メンタルが安定して」
「ストレスに強くて」
「成果をだして」
「仕事ぶりを認められてる人」と映りたくて
その真逆をいく自分の内面を否定しまくってました。
いま考えると、ただの自滅行為っっ
思い描いてるんどんな完璧人間っっっ
怖かったのは「周りの目」じゃなくて
ほんとうは、「休職」や「退職」を選んだときの、自分が怖かった。
「なんでもっと頑張れないんだ!」
「他の人はがんばってるのに!」
「休職するなんて逃げじゃん!」って攻めてくるであろう自分がいちばん怖かった。
でもわたしは周りの人がもし休職すると知ったら、
「がんばってたから疲れたんだろうな」
「わたしに何かできることはなかったのかな」
「とにかくゆっくり休んでほしいな」と思うし、
「なんでもっと頑張れないんだー!」
「逃げじゃん!」なんて思わない。
なんで周りの人の意思は尊重して優しい言葉をかけられるのに、自分にはめっちゃ厳しいのでしょう
この記事も本当は「休職してま〜〜〜っす☆」って
超明るくひょうきんな感じで書きたかったんですけど(なんのあこがれイメージ?)
ありのままで書くとクソ真面目な文章になってしまう。
でもこれがわたしだ!
そう、「なんかクソ真面目」なのが わたしなんです。
いつも”なりたい自分“がいて、”ありのままの自分“をないがしろにしてたけど
休職して、立ち止まって、先生と話して、自分の思考の癖について知って、いろんな本を読んで、行き着いた先は
「わたし、自己肯定感低いばっかりにあんなじぶんを責めてたんだなあ〜」
ってところでした。
適応障害になった理由も、周りの人や環境のせいじゃなくて自分の内面にあるから
「ありのままの自分を認める」っていうところからはじめないと
わたしたぶんまた同じこと繰り返しちゃうだろうなあ。
だから変わろう。と、いろいろ模索してます。
で、ここまで偉そうに書きましたが
わたしもまだ絶賛休職中で
しかも夫と親友2人以外には、休職したことを打ち明けてませんw
他の人にはひた隠しにしてますw
遠方に住んでる家族は「無駄に心配かけさせてしまうから」なのですが
たまに連絡取る友達に「最近どう?」と聞かれても伝えられないのは
なんかまだやっぱりカッコよく見られたいみたいなとこあんな〜と、感じてますw
そのあたりも徐々に整理できたらいいなあ。
まだ復帰するのか、退職するのかすら決めかねてる状態なので
将来は絶賛不透明☆ ですが、
でも確実に前よりちょっと肩の力ぬいて生きてます。
その時じぶんは最善な選択をするんだと思います。
今後の展開を、たのしみに待ちますっ
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