見出し画像

「○○になったら幸せ」はゴールがない。

結局は「内側」の問題なんですよね。
外側をどれだけ満たしても、不足感はなくならない。

それをしみじみ感じたこの1年。

最初は、
「離婚できたらどんなに自由で幸せだろう」と思った。

それが叶ったら
「息子の学費さえ確保できたらもう心配することないのに」

それが叶ったら
「家(実家)を出たい。一人暮らしが叶ったらどんなに幸せだろう」

それが叶ったら
「今の仕事が辞められたらどんなに楽になるだろう」

↑↑↑
これらの「」内のこと、全部叶ったんです。
叶うまでは頭の中、そのことでいっぱい。これさえ叶えばスッキリ爽やか、私の心は晴れ渡って幸せな気分になれる、と思っている。

でも幸せな気分でいられるのは一瞬。
しばらくすると、また「○○だったら・・・」ってのが出てくるんです。

今はね、
「収入がもっとあればいいのに」って思ってる。

でもそれも、キリがないのかもしれない。
収入が30万円になれば50万円あればなぁと思うし、50万円になれば100万円あればなぁ・・・となっていくらしい。人間の欲って、とどまるところを知らないんだね。

画像1

実際同僚を見てても思う。私たちの収入は、一人暮らしでは心もとない金額だけれど、主婦ならかなり余裕のある金額。

話を聞いていると、毎月貯金もできているし、なんやかんやと好きな物を買っている。それなのに
「もっとお金が欲しい。もう一つ、仕事増やそうかな」
と言っている。

彼女自身も
「人間て、どんどん強欲になっていくね」と笑っていた。

結局のところ、「○○になったら幸せ」なんて実態はないのかもしれない。実際「結婚して家庭を持てたら幸せ」って思ってたけど、それも幻想だったしね。

要は心の在り方の問題。視点の問題。

ひとは95%満足していても、不足の残り5%に目がいってしまう生き物。よくよく考えてみれば、かなり満たされているのです。

そもそも日本という国に生まれただけでもかなり恵まれているし、命の危険にさらされることなく、毎日安心して家の布団で寝ることができる。高級なものでなくても、自分の食べたいものはフツーに食べることができるし、こうやってスマホやパソコンを所有して、自分の考えをアウトプットしてひとに読んでもらうことだってできている。

そんなの極論だと言われてしまいそうだけれど。

「○○になったら幸せ」が幻想なのだから、究極「今幸せ」って認めてしまえばいい話よね。

「息子が元気でいてくれて幸せ。」(←これに尽きる)
「自分の意志通りに体を動かせて幸せ」
「自由気ままな暮らしができて幸せ」
「いつも話をきいてくれる姉がいて幸せ」

90%以上は満たされているのだから、探せば幸せの根拠なんていくらでも出てくる。結局は幸せなんて自分次第!

と言いつつ、「パートナーができたら毎日楽しいんだろうなぁ」と思ってしまう、ウリ子でした。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集