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#10 自己中心的な趣味としての架空鉄道

自分さえ良ければいいというのは、社会では通用しません。

それは、自分の慰みのためとなる趣味でも同じことが言えます。鉄道写真を撮るのであれば譲り合うことが必要ですし、車窓の撮影や走行音・車内放送の録音は、周りへの配慮や、時には会話が入ってしまうことも、仕方ないこととして割り切る必要があります。

鉄道に限らず、アイドルはその対象がいずれは卒業し、人間であるから時には活動上躓くこともありますし、アニメやゲームは制作上、自分の思い通りにならないこともあります。漫画・小説の読書も、出版上の都合や作者の動向に左右されます。
キャンプは自然の、釣りは水の資源の保全に努めなければなりません。
ドライブ、ツーリング、サイクリングは言わずもがな、他の交通に気を遣う必要があります。

さて、自己中心的になれる趣味というのがなかなかないということはおわかりいただけるかと思いますが、ある分野においてはそうとも限りません。

それが「創作」です。

創作は、公開しない範囲においては100%自分だけのものであり、法律にさえ従えば、他人に迷惑をかける可能性は低くなります。

自分で漫画や小説を書いたり、ゲームを作ったり。編み物や服飾も該当するでしょう。料理や家庭菜園も。

さて、私がライフワークとしている架空鉄道等も、創作です。
架空鉄道は自己中心的に、自己満足の範囲で楽しむことができる鉄道趣味です。

廃止や減便の恐れもなく、車両の老朽化や効率的な運用、人手不足も関係ありません。

数少ない敵は、強迫観念(こうでなければいけない)と恥じらい(架空鉄道なんて子どものやること…)、作業時間の捻出くらいではないでしょうか。

ただし、公開する場合においては、著作権や倫理観への注意が必要となります(現実ベースの架空鉄道において、実際の災害を元に運行状況を出すことが問題になるケースがあります)。
あくまで非公開とした場合です。

かくいう私は架空鉄道等をXにて公開していますが、他の作者さんのものを剽窃したりせず(現実の鉄道に似たり寄ったりになる点は…どうなんでしょうね…)、極力交流を控え、起きることは全て架空国家のお話ということにしております。
今後、架空国家上での政治的な問題が出てくる際には、なるべく表現方法に気をつけていきたいと思っています。


今回、自己中心性というテーマで架空鉄道を語っているのは、例によって布教する目的です。
前述したように、架空鉄道は(思想以外で)現実や他者に左右されません。

鉄道界隈にいると、鉄道会社や乗務員、乗客、他のマニアに苛立ちを感じる人をよく見かけます。私も人間ですので、時には「これは…」と思うこともあります。

しかしそれは仕方のないことです。鉄道はあなたのためだけに動いていません。社会運動や問合せ、クラウドファンディングなどを除いて、どうすることも出来ないことです。

だからこそ、架空鉄道には価値があるのです。
現実の鉄道で納得できないこと、悲観してしまうことを糧に、あなたが満足する架空鉄道を作ってほしいのです。

現実にはありえなくなってしまった量の夜行列車とライナー列車が、貨物線をかっ飛ばすダイヤです。


無論、手間がかかりますし、撮れず、乗ることもできません。そこは妥協です。しかし、実在しないとしても、想いを馳せることはできます。
乗りに行きたい、写真に収めたいと思う時、必ず鉄道へ想いを募らせてるはずです。その想うという欲望を切り取り、自分だけのものに昇華させることこそが、架空鉄道にしか出来ないことです。実在しないからこその強みがあるのです。


やらないよりやる方が、楽しみが見つかるかもしれませんよ?😌

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