屠蘇をたずねて三千歩
母はわたしをAmazonかなにかだと認識しており、言えば届けてくれると思っている。
年末のリクエストはこうだった。
絶妙に重いし、かさばるラインナップ。
スーパーで全部そろうか、ドラッグストアに寄らなければいけないかの瀬戸際ラインナップ。
ラスボスのように立ちはだかる《屠蘇散》。
正月の風物詩《屠蘇散》。
恥ずかしながら自分では買ったことがない。シブすぎるはじめてのおつかい。
屠蘇散がどこに売っているのかよくわからない。とりあえず、地元のスーパーに立ち寄る。
お菓子売り場では、年配の男性が「あの、アイスみたいなチョコのお菓子どこかな、ピンクの」と店員さんに尋ねていた。
店員さんは即座に「こちらですね~」とジャイアントカプリコがならぶ棚へいざなう。
「ああこれこれ!」と男性はうれしそうにジャイアントカプリコをカゴへ放り込む。
正月にお孫さんが遊びに来るのかな、と微笑ましく思う。ご自分で召し上がっていても、それはそれで微笑ましい。
そして店員さんは名探偵だ。
ところで《屠蘇散》だが、鏡餅や正月飾りがならぶ正月準備コーナーには見当たらない。
正月の風物詩だと思っていたのに。
お酒売場にもないし、もちろん飲料コーナーにもない。
そうだ、みりんに浸してつくるから調味料の近くだ、と推理するも見当たらない。まあまあ広いスーパーを右往左往。
シャンプーとリンス、白砂糖、頼まれていない大量のチョコレートを放り込んだカゴが、だんだん腕にめり込んできた。
ただでさえ大荷物、たまらず店員さんに尋ねる。
ケチャップのタワーに隠れていたし、水あめや干ししいたけの中に埋もれていた。これは、ウォーリーを探せ並みに難易度が高い。
名探偵にはなりきれなかったが、無事に屠蘇散を入手した。
正月準備コーナーにないということは、屠蘇をたしなむ家庭は減っているということだろうか。
10年前の調査で、すでに屠蘇を飲む伝統の慣習は薄れつつあるとのこと。
しかも、地域によって違いがあり、わたしが《お屠蘇》として認識している仕立ては、おもに関西の文化らしい。
関東以北では、日本酒をそのままお屠蘇として飲むことも少なくないのだとか。
生まれも育ちも関東だが、おそらく母方の祖母が関西人だからだ。
歳を重ねるごとに、自分に関西の文化が知らず知らずのうちに根付いていたことに気づく。
原材料名がもはやお経なのだが、別名を聞くとほぼ知っている物質。
どおりで、パンパンの激重リュックを開けたらシナモンの香りが漂ったわけだ。
あと、カタカナで書くと韓国のアイドルグループのメンバーっぽい。たぶんケイヒがセンター。
お屠蘇は正直幼少期から苦手だったが、これだけ身体によさそうな成分が含まれていると知ると、印象も変わる。
そして母は、肩と腕の痛みを訴えるわたしにフェイタスを分けてよこした。
こうなることを予測して、フェイタスをおつかいリストに入れていたのか。
母は予言者で、わたしはやはり名探偵。
本年もよろしくお願い申し上げます。