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【感想文】おいしい給食

おいしい給食というドラマ(と映画)が面白かった。
時は80年代後半~、中学校の数学教師である甘利田幸男(市原隼人)の性格は厳格そのもので、そのカチコチさは生徒のみならず時に同僚や上司にまで絶句を強いる程である。

なんというか「生徒とは絶対友達にならないタイプの教師」だ…

だが、そんな彼も一つだけとても大きな綻びを持ち合わせており、それは「給食が大好き」だという所。

本作は中学校の給食を舞台にしたグルメ作品と説明することができるかもしれないが、市原隼人演じる甘利田幸男の給食に対するそれは、「孤独のグルメ」の松重豊のようにしみじみとメシの美味さを伝えるあの演技とは、対極に位置する。

どのように対極なのかというと、物語の舞台となる中学校では何れも、給食の時間になると校歌が流れ出し、それを歌い終えてから「いただきます」をするという風習があるのだが、甘利田幸男は給食がほんとうに大好きなので、校歌を歌う時点で既にそのボルテージは極限にまで達しており、いつもの厳格な姿からは想像がつかない程にニコニコでウッキウキになってしまう。

シーズンが進む毎に彼が給食の前に行う儀式はいっそうその激しさを増していく。これも見どころの一つ

Season1

2

3


この男はどこまで高まり続けて行くのだろうか。いや、高まり続けていってほしい。孫悟空が劇場版の度に強くなるように…

これが本番(実食)となるとその感情表現はいっそう苛烈となる。
恍惚の表情を浮かべながらコッペパンに頬擦りをしたり、スプーンで掬った食材に何故か鬼軍曹のような激しい叱責を与えたりと、やりたい放題で給食を平らげていく。

この間周囲の生徒たちはどうしているかというと、なんとそんな先生には一切興味を示さずに各々が楽しく会話をしながら普通に飯を食っている。
市原隼人の給食バカっぷりも凄いけど、生徒役の子たちも同じくらい凄いなと思う。

前に王様のブランチの映画コーナーで、実写版「赤羽骨子のボディガード」特集をやっていて、出口夏希が「周囲が激しいアクションをしている中で自分だけ日常の演技をしないといけなくて大変でした」みたいなコメントをしていたが、周りがやかましい中で自分だけが日常的な演技をするのと、市原隼人が異常行動を連発する中で1クラス分の人数が平然と給食を食わないといけない現場とでは、どちらが過酷なのだろうかと考えてしまった。

教師椅子コロコロジェットで滑走してくるえび反り市原隼人がいる現場、過酷すぎる…
(劇場版3作目「おいしい給食 Road to イカメシ」より)

そんな甘利田幸男にもライバルがいる。サッカー漫画のライバルは当然サッカーをやっているし、恋愛漫画のライバルは恋敵であろう。このドラマは給食が主題のドラマなので、そのライバルは「給食のライバル」ということになる。

給食を食べることに何の優劣が?と思うが給食に魂を売った男甘利田幸男にとってそれは明確に存在する。

「給食のライバル」こと神野ゴウ(佐藤 大志)
美少年だが、甘利田の心を激しく波立たせる!

そのライバル神野ゴウは発想力に長け、給食というステージに存在する僅かな綻びを見逃さず、それを上手にアレンジして、至高の給食とでも言うべきものへと昇華する。強すぎる給食愛から視野狭窄となり、早々に給食を平らげてしまった甘利田幸男はいつもライバルの華麗なファインプレーに精神的な敗北を喫する。
というのが毎回の話の流れである。お決まりの様式美の中で、しかし同じ所を回りながら昇る螺旋階段のように、その関係性はゆっくりと深まっていき、劇場版ニ作目「おいしい給食 卒業」のラストで完成し、終結する。

※注意 以下の文章には「劇場版ニ作目「おいしい給食 卒業」に関するネタバレ情報を含みます。

このラストは本当に素晴らしかった。人に食べ物を渡す意味と、また、それを受け取り食べることの意味を考えてしまい、ちょっと泣いた。
劇場版らしい激しいなんやかやが終わった後の静かな放課後の教室で、甘利田幸男は神野ゴウに、12月のクリスマスメニューとして給食に出てきたロールケーキを渡す。言うまでもなく、それは給食界隈では年に一度の大ごちそうである。
給食の時間、給食センターのミスか判らないが、天からの贈り物のように、クラスのケーキが一つ余った。甘利田は生徒との熾烈なジャンケンを勝ち抜いて手に入れたそれを、放課後まで食べずに取っておいたのだ。

甘利田からケーキを受け取った神野は「自分もジャンケンに勝っていたら、そうしていた」と告げると、それを食べた。
そうして「おいしい給食 卒業」は終わる。

食べ物を分け与えること、受け取って食べることは、それ自体が互いに最上級の信頼がなければ成り立たないことだと気付かされた。
子供の頃、親が食べているものがなんだか美味しそうに見えて「一口ちょうだい」と言うと、当たり前のように分けてくれたことを思い出した。大人になって、あれってまあまあ凄いことだよなと思う。
うまいものを食って、皿の料理がどんどん減っていく場面を想像する。きっと最後の一口を食べ終わってもまだ名残惜しい、そんな至福の食の時間に、知らん奴に「一口ちょうだい」と言われでもしたら、きっと「なんだテメー!」となってしまうだろう。
逆も然りで、知らない人間にいきなり「これおいしいから、食べてごらん」と言われても、食べる気はしないし、警戒してしまうだろう。現に警戒しなかった白雪姫は、それで一回ヤられている。知らんやつから与えられる食い物というのは危険で恐ろしい。グリム童話に書かれてディズニーが映像化するくらい、そうなのだ。
親子や友達でそうならないのは、そこに信頼関係があるからだ。言葉を連ねるよりも雄弁に、食べ物の遣り取りというものがそれを伝える。
「おいしい給食 卒業」のラストはそれだと思った。
食べ物を渡す教師と、渡された食べ物を、うまそげに食う生徒。給食というテーマで結び付いた関係性の終着点に、これ以上のものがあるのだろうか。


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