マミートラック脱出のきっかけは、やったことを「やった」と主張できるようになったこと
仕事を再開するせいか、以前仕事をしていた頃のことを思い出すことが増えました。
もうすっかり忘れたと思っていたのに不思議だな、と思っているmomomiです。こんにちは。
もともと自己アピールとか、自分を売り込むとか、私はまったくできない人でした。今は得意ではないけれど、必要な分くらいはできます。
どうやってできるようになったのか?
アピール自体が苦手、自己主張をすることも出来ればあんまりしたくない、そう思っているけれど、かといってみんなが従っているなんとなくの雰囲気に黙って耐えられるタイプでもない。
そんな人に向けて書いてみたいと思います。
当たり前ですが、主張ができないと特に外資では生き残っていけない。
適切な自己主張ができる、ということはビジネスにおいてどこかで学ばなくてはいけないように思うのです。
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会議ではできる限り発言したくないし、目立たないで陰でひっそりと生きていきたい。もともと私はそんな人でした。
でも内心、評価されている人はいいなぁと思っていたし、きちんと発言できる人はかっこいい、ハイライトされて輝いていられる人はすごいな~と憧れてはいました。
今思えば、いつか誰かが陰で頑張っている自分を見初めてくれて、シンデレラとして舞踏会に立ちたい、そんな感じの甘えもあったかもしれません。
そんな私が少しずつ自己主張を覚えていったのは、「言わなければ何も変わらない」「自分が動かないと自分の境遇は何も変わらない」そんなことを突き付けられる場面が20代後半から30代にかけて続いたからです。
やってみると誰かが気づいてくれて変えてもらうことを期待し続けるより、自分が少しだけ頑張って主張する、動いてみる方がずっと楽でした。
リーダーをやりたい気持ちより避けたい気持ちの方がずっとずっと大きかったけれど、いつしか動かないリーダーに期待して裏切られるより自分がやった方が早い、そう思うようになりました。
それでも自分に自信がなかったので、私は30代中盤になっても自分の実績を正当に評価してもらうために主張する、たったそれだけのことができませんでした。
そういう言い方をした場合は一切自分の実績として認めてくれない、厳しい上司に当たったことも良かったかもしれません。
やったことをシンプルに言語化し、数字とともに主張できるようになること、それをもっと早くできるようになっていたら、こんなに苦労しなかったのじゃないかな、と今は思います。
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私は転職をしなかったので、社内での自分の境遇を変えるためには周りから受け入れてもらいやすい形で自己主張すること、自分が動いて自分がいる環境をよりよくしていくことが必要でした。
それが最も必要だったのは、唯一のワーキングマザーとして時短で復帰したときのことです。
常に人が足りない、ブラックな職場だったので、自分の居場所は自分で作る必要がありました。
仕事を覚えてどんどん降ってもらえるようになるのが嬉しく、最初は時短の中でできるだけ業務を効率化して生産性をあげるように努力して頑張っていました。
でも、悲しいかな、自分の評価が上がるよりも残業したほうが稼げたりするんです。(私は残業したくないので、ほぼやりませんでした。時短だし。)
働かない管理職に、腹が立つ。
結局、時短を取っていない働いていない人より給料が少ない現実に耐えられず、仕事をすればするほど仕事を振られる現状が辛くなり、いつしか自己主張せずにはいられない時期が巡ってきました。
要点は二つ。
仕事の量を減らしてほしい。時短なんだからもうちょっと配慮して。
仕事の量を減らせないなら、昇進させて。処遇改善して。
いつまで経っても人が足りず、全然仕事が減らなかったので、途中から(頭にきて)事実に基づいて主張することが必然的に上手くなりました。
そして、同時に結果に影響しない部分を容赦なく手を抜くことをためらわないようになりました。
そもそも重要な仕事を回してもらえないマミートラックもあれば、成果をあげているのに評価してもらえないマミートラックもあると思います。
自分がコスパのいい人材になりたくなければ、盛りまくった自己アピールなんてできなくていいので、淡々と実績を上げ事実に基づいて主張する、それが結局一番早いかもしれません。
自分が何を考え、行動し、得られた結果を事実ベースで話せるようになること。
その練習を繰り返せば、事実は誰も反論できないので、評価をひっくり返すこともありません。
私の場合はそれがマミートラック脱出の鍵だったのかな、と振り返ってみて思いました。
どなたかのご参考になれば幸いです。
おまけ:社畜になれないmomomiの生存戦略