自分の中にある普通の基準が実は高すぎたりすることってないですか? "女の子は完璧さより勇気を":TED Talk
私は人から完璧主義だと言われたことはないけれど、どちらかと言えば全部頑張りたくなってしまうところがあります。
そして、がんばっても人並みにできないことはいっぱいあります。
だから完璧な人には憧れるし、いつだって隣の芝は真っ青なタイプ。
SNSで学歴やキャリアもあって、しかも子どもがいて家事もできて美人、みたいな人を見るといまだにいいな~と思います。だって完璧じゃないですか。
私だって生まれ変わったら、タキマキになりたい。
(タキマキとはモデルの滝沢眞規子さんのことです。見て損しないのでご存知ない方はググってみてくださいね。)
もっと幼いころには”普通”にものすごく憧れたり。
自分が思っていることを素直に表現すると場が固まってしまったり、空気を読みすぎて気持ち悪くなってしまったり、自分の思っていることを親に訴えてもわかってもらえず変な子だと言われていたころのことです。
そんなわけで、実は今でも世間話が得意ではありません。。
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私の父方の家系は女の人もよく働く人ばかりで、生まれてこのかた身内に専業主婦がいたことがありません。
ということに、最近気づきました。
もちろん、友達の家に働いていないお母さんはいました。
ただうちの母は薬剤師だし、叔母たちも教師か薬剤師、母方の親族も何かしら洋裁やパートや家業の手伝いをしていたので、ずっと家のことだけをしている女の人って身近で見たことがないのです。
だから働くのも家庭との両立も当たり前のことだと思っていました。
なんなら祖母もずっと働いていたので(結婚して小学校教師を辞めた後は、祖父が経営していたそろばん塾の先生と、薬局の経営)父が子供の頃は家にはお手伝いさんがいたと聞いています。
3人子どもがいたし、祖父は長い間ダブルワークだし、超絶忙しかったのでしょう。そのせいか、私の父は小さい頃は寂しかったらしく、母には仕事はしてほしいけれど家庭を大切にしてほしいと願っていたようです。
(そして結局母もずっとパート勤めが長かったです。)
祖父の妹たちも、祖母の弟の家もみんな女の人は働いていたので、今で言うキャリアウーマンの見本はいっぱいいたかもしれません。
そんなわけで(?)子育て失敗した例も事欠かず、子どもが苦労する例は見てきました。子育ての失敗って何?という気もしますが(話が長くなるので今回は割愛します)、乱暴に言えば、たぶん手をかけすぎても手をかけなさすぎても上手くいかないし、どんな環境でも育つタイプもいればちゃんと見てあげないとダメな子もいるということを学んだんだと思います。
別に母親が見るのがすべてということはなく。
前置きが長くなりましたが、私の両親はこんな娘になってほしいんだと思っていたと思います。
婚活も妊活も(どちらもそれなりに苦戦した)、いや親の思っている普通って相当ハードル高いからと思っていました。でも、気づけば私の中の普通ってここである程度決まっているんだろうと思います。
当たり前ですが、これが幸せの基準だとは思っていません。
そしてもうとっくに親からは卒業してるので、自分の人生は自分で決めればいいと思っています。世の中にはいろんな人がいるし、いろんな幸せがある。人それぞれ、自分の幸せを追求すればいい。
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昔オーストラリアで短期ホームステイをさせてもらったとき、お母さん(娘さんと小さな男の子のいるご家庭でした)が作るご飯が簡単すぎてびっくりしたことがあります。
共働きだから、いつも夕飯がPanda Expressとかのテイクアウトは良いとして、「今日はご飯作るから~」って言ってた時の夕飯がパスタゆでて瓶のパスタソース和えただけのやつと、ガーリックトーストだけ!
私が知っている普通の晩御飯とこんなに違うんだ~と思いました。野菜食べなくていいんだ、夕飯でタンパク質とらないんだ・・・みたいな。
国の数だけ普通があるし、家庭の数だけ普通がある、きっと普通ってとんでもなくたくさんの数があるんだろうけれど、日本の普通って実は相当基準高いよね?と思った出来事の一つです。
そしてそんなオーストラリアのお母さんでさえ、今から15年以上前の話ですが子育てに仕事に資産形成に悩んでいたし、突っ込んだ話はそれほどできなかったけれど、彼女の中にある完璧な女性像みたいなものを目指していたんじゃないのかなと思います。
女の人が完璧さを求める(求められる?)のはどうも日本だけじゃないらしい、ということはこのTED Talkを見ていて気付いたことです。
お時間がある方はぜひ見てください。だいたい10分強のTED Talkです。
TED見ていると、女の人の生きづらさって日本だけじゃないんだなと思う。
”To be comfortable with imperfection” 不完全であることに対して心地よくあること、これは働いていた時も私にとっての大きなチャレンジで、そして今仕事を辞めて新しいことにチャレンジするときにも再び大きな課題となって私の目の前に現れているような気がします。
でも、これを受け入れない事には新しい挑戦なんてできっこないんです。
不完全なのは当たり前なんだけれど、不完全な自分を責めることなく手懐けてしたたかに前に進むこと。私はあまりうまくできなかったかもしれないけれど、前の会社でもこれができている人は強かったなと思います。
今更かもしれないけれど、今日が人生で一番若い日、ということでもう一段自分の不完全さを受け入れて、前に進んでいきたいと思います。
長くなってしまいました。。。
こんな長文を読んでくださったあなたに、心から感謝!
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