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発信が何となくの怖い、の正体
何となく怖い、そんなものってたくさんあります。
お化けみたいなもの。
本当は目を開いてみたら、お化けはいないのかもしれないけれど。
3年前にnoteを書き始めたとき、私は自分が何かを発信する、とか自分が書いたものを人の目に触れるところに残すことがとてもとても怖かったことを思い出します。
今思うとこの3年でだいぶ図々しくなったのかもしれません(苦笑)
当時なんとなく思っていた怖さを100とすると、今は20とか30くらいになりました。
そしてこの怖さが何でできていたかというと、、、
ほとんどは幻想でできていたことに気づきます。
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知らないから怖い
当時私の周りで発信していた人は個人で起業している友人くらいしかいませんでした。
もちろん趣味でブログを書く人が世の中にいることは知っていたし、情報発信している普通の人がいっぱいいることも知っていました。
それでも当時は、日常的にブログを書いたり、You Tubeで発信する人は身の回りに少なかったので、私にとっては何となく”特別なこと”感がぬぐえませんでした。
今は特に何かしているわけではないけれど発信している人、というのが意外と多く、自分で何かを発信することは文字通り誰でもできるんだなと思います。
慣れていないから怖い
慣れていないから怖い、というのは確かにあります。
『たくさん記事を書いたりコメントしていけば慣れるから』過去こんな声掛けを社内でも外の友人と話しても幾度となくされてきました。
が、当時は全然慣れず。
再開して記事を10件くらい書き出したころからか、少しだけ慣れたのかもしれないと思うように思うようになりました。
人間って不思議。
『成長するにはコンフォートゾーンを抜けて挑戦しろ!』とよく言われますが、私は人に比べてストレッチゾーンが小さく(図左)すぐパニックに入っていましたが、今はストレッチゾーンが当社比ですが少し大きくなりました。
この件に関しては。
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3年前といまとの違いは、おそらく自分で発信してみて恥ずかしいと思った量の差でしょう。
マネージャー時代に自分の作った拙い組織目標とか、これまでやったこともなかった所信表明のためのプレゼンなど、自分が作った死ぬほど恥ずかしい資料(と当時思っていた)発信を必要に迫られて無理やりすることで、さすがに慣れました。
慣れることって偉大ですね。
あまり好きなやり方ではありませんが、強制力も時には必要だと思います。
最後に残る怖さは、不特定の人から批判される怖さ
最後に残る怖さは、不特定の人から批判される怖さなんだと思います。炎上とか。
子供の頃は、田舎の小さな町で育ったので近所の風評みたいなものは子供心に気にしていました。そこまで親は世間体を気にする方でもなかったように思いますが、小さなコミュニティで生活する場合にはやはり無視はできなかったんでしょう。
どこかで常に人の目を気にして生きてきたような気がします。
ムラ社会の刷り込みは恐ろしい。
この種の怖さについては、私はいったん保留にすることにしました。
以前、みんなの前で発表するのが病的に好きなんじゃないかと思われる元同僚や本を多数出版されている女性起業家の方など、発信に全く抵抗がなさそうな方にこの種の怖さの取り扱いについて聞いてみたのですが、意外と『批判される傷つく』『怖いときもあるよ』という普通の回答が返ってきたのが私にとって新鮮な驚きでした。
怖さを克服したら発信できるようになるのかと思っていたんですが、そうじゃなかった。
怖さが減った方が良いのでしょうが、怖くても何かを出すことはできるんですよね。
というわけで怖さとできるかできないか、は別の問題だと思うようになりました。
何となく怖い、の正体は不安と幻想と不確実なリスクがごちゃ混ぜになったものではないかと。
放置すると勝手に増殖することがあるので、幻想は早めに刈り取っていこうとおもいます。
読んでくださってありがとうございます!