東京の盆ぬけて来て青田かな
おはようございます、唐崎夜雨です。
お盆にはひと足もふた足も早く帰省してきました。
帰省とは、郷里に「帰り」、親の安否を「省みる」こと。
わたしの郷里ではないが、両親はいま京都に暮らしているので京都の親宅へは帰省になる、かな。
この家は京都市内ですが、山の麓のような所で、最寄りのバス停から緩やかな坂道を15分くらい登っていきます。
夏場は汗が流れます。
この坂道の途中に田んぼがある。
以前は周辺にもっと田んぼや畑がありましたが、いまは宅地化されるなどして姿を消しています。
自然がなくなるのは惜しいという話ではなく、子供の頃に見た光景がなくなるのは寂しいといったところでしょうか。
年にニ、三度しか来ないので、あっという間に風景が変わる。大きな屋敷が切り売りされて小さな建売住宅になったり、水田が埋められて駐車場になったりする。
でも緩やかな坂道を登りながら、なお健在なこの田んぼに出会うと、ああ昔ながらの土地に来たんだという実感がわきます。
それこそ旧友と再会したような、郷里ではないけれどそれに似た心地さえする。
子供の頃の思い出や、伯父や祖父の記憶にもつながる光景なので、いつまでも残っていてほしいものです。
もちろん、この土地の所有者でもないし、この土地で暮らしているわけでもない、いわば旅人の勝手な想いに過ぎませんけど。
東京の盆ぬけて来て青田かな
久保田万太郎
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