映画『パリは燃えているか』(1966)
こんにちわ、夜雨の名画坐へようこそ!
今宵ご紹介する映画は『パリは燃えているか』。1966年の作品。
仏語原題で「Paris brûle-t-il ?」、英語圏では「Is Paris Burning?」。
第二次世界大戦でフランスのパリはドイツ軍の占領下にあった。パリの解放に向けて戦うレジスタンス、連合国軍の活躍を描いた超大作です。
モノクロ。173分。
監督はルネ・クレマン。『禁じられた遊び』『太陽がいっぱい』のフランスを代表する監督のひとり。
脚本は作家のゴア・ヴィダルと『ゴッドファーザー』のフランシス・フォード・コッポラ。音楽はモーリス・ジャール。『アラビアのロレンス』などデヴィッド・リーン監督作品で知られる。
映画『パリは燃えているか』は、1944年8月7日、コルティッツ将軍がヒトラーよりパリの司令官に任命されるところから始まる。コルティッツはこのときすでにヒトラーから、撤退するときはパリを爆破破壊しろという命令を受けていた。
この年の6月すでに連合国側はノルマンディー上陸作戦を成功させ、ドイツ軍は敗色濃厚であり、連合国側にパリを奪還される日も遠くはなかった。
歴史的事実なのでネタバレ気にせず先に申し上げますと、1944年8月25日にパリ解放される。この映画は1944年8月のおよそ半月が描かれています。
本作はオールスター映画で、たくさんのスターが登場します。しかしこういった映画の典型的な作品で、さまざまな人が出たり入ったりするだけでスターの共演シーンは少ない。
レジスタンス側にアラン・ドロン、ジャン・ポール・ベルモント、ブリュノ・クレメールがいたり、レスリー・キャロンやシモーヌ・シニョレが顔を見せ、連合軍にはカーク・ダグラス、グレン・フォード、中立的な立場のオーソン・ウェルズが交渉にあたる。
ほかにもアンソニー・パーキンス、イブ・モンタン、ジョージ・チャキリスだのの出演もある。
総じて名前だけ見ると華やかでしょ。みなさんチョロっと出るばかり。
レジスタンスや連合国側の活躍を総花的に描こうとしているためか、映画『パリは燃えているか』のパリ・連合国側では多くのスターが出てきても、主役らしい人がいません。物語の狂言回し的な存在もいません。中心になる人物がいないのです。
たとえば、アラン・ドロンはレジスタンス側のひとりですが、連合国側がパリに軍を進めてくるようになるとまったく登場しなくなります。
表現の制約もあったようです。本作はどうしても大規模なパリでの撮影が必要です。
コッポラが語るところによると、撮影許可するかわりに当時のド・ゴール政権は映画にかなり干渉したようです。ド・ゴールの政敵の活躍は描かれなくなる。おそらくシナリオの改変を余儀なくされているものと思われる。
また映画製作側の問題だけではなさそうで、パリのレジスタンスたちはドイツの占領に抵抗するという目的で一致しているだけで、思想的には右もいるし左もいる。連合国との連携を模索するグループもいれば、早急な武力蜂起を計画するグループもいる。バラバラ感がある。
一方でドイツ軍側は、先に述べたように8月7日将軍コルティッツがヒトラーからパリ司令官を任命されたところから映画が始まり、8月25日将軍の降伏までが描かれる。
つまり、この映画は彼で始まり、彼で終わる。
この映画はフランスもしくは連合国側の視点で描かれているので、ドイツは敵役なんですが、そういった視点を離れてより俯瞰的にながめてみるとドイツの将軍が事実上の主役ですね。
このコルティッツ将軍を演じているゲルト・フレーベは『007ゴールドフィンガー』の「ゴールドフィンガー」で知られる。
コルティッツ将軍はパリの市内各所に爆弾を設置し、いつでもパリ全土を焦土と化すことができる段階まで準備しておきながら、ゴーサインは出さなかった。
将軍は表向きはヒトラーに従っていても、冷静であった。理性があった。ヒトラーは正気ではないとつぶやく場面もある。このあたりは映画的な創作かもしれませんが、パリを爆破しなかったのは確かです。
パリを開放に導いたのは多くのレジスタンスや連合国軍によるものかもしれませんが、パリが焼け野原にならなかったのはヒトラーのパリ爆破命令を無視したドイツ軍司令官の判断によるといっても過言ではない。
ではなぜ爆破しなかったのか。
芸術の都を焦土と化すのは忍びないというようなロマンチックなものではなく、わりと現実的な判断によるもののようですね。
映画でも積極的にパリを守ろうというつもりでもなく、パリを焦土と化す決断ができない人物でもなさそうですから。敗色濃厚ならパリを焼かずに白旗を挙げた方が得策であることは間違いありません。
実のところ、コルティッツはパリを救った男として評価されてもいるらしい。
本作は当時の記録映像も多用している。ジャーナリスト2名による原作があるので記録映像の使用は、ドキュメンタリー性を狙っているのか、あるいは臨場感を出すために使用しているのか。
ただこれらの映像からは戦時中でも庶民の暮らしがあり、戦士の休息があったり、日常風景と戦争が一緒にある光景は興味深い。
この映画とは直接関係ないけれどもかつてNHKで放送された『映像の世紀』のテーマ曲、加古隆の「パリは燃えているか」もいい曲です。
タイトルの『パリは燃えているか』とは、クライマックスでのある人物のセリフです。それが誰かくらいはご存じの方も少なくないでしょうが、ここでは秘密にしておきましょう。