映画『飢餓海峡』(1965)
こんばんわ、唐崎夜雨です。
今宵ご紹介する映画は1965年1月15日公開の『飢餓海峡』です。原作は水上勉の同名推理小説。
水上勉は松本清張の『点と線』に触発されて社会派推理作家として世に出ましたが、のちに貧しい寒村に根差した人間の悲哀を描くようになりました。
『飢餓海峡』にはその両方の側面が味わえる水上勉の代表作です。
監督は内田吐夢。脚本は鈴木尚之。モノクロ映画。約3時間の長尺。
あらすじ
昭和22年9月20日、北海道は台風の影響を受け強い風に見舞われていた。岩内町では質店からの出火で街の多くを焼失。
函館沖では青函航路の層雲丸が遭難。多くの人が犠牲となる。
岩内大火の出火元である質店から3人の遺体が発見される。質店は強盗にあい、家の者は殺され、家屋に火をつけられたようだ。
層雲丸事故では乗員乗客全ての安否が確認できたのに、引き取り手のいない男性2人の遺体が残された。
捜査が進むにつれに岩内強盗殺人と身元不明の海難事故遺体が結びつき、犬飼という大きな男の存在が浮かび上がる。
その頃、復員服で髭面の大男が大湊の花家という女郎屋にあがり、杉戸八重がその男の相手をしていた。
あらすじのここまででも、物語のほんの触りです。
導入部は函館の老刑事を中心に、岩内と函館の二つの事件を追いかけます。重要参考人の犬飼なる男の行方を追いもとめ、刑事は大湊の杉戸八重に会う。
犬飼はかなりの大金を所持しており、親切にしてくれた杉戸八重にいくらかあげる。八重はその金で店の借金を返済し東京へ上京する。直観的に犬飼は悪い人ではないと思い、警察に犬飼を知らないとウソをつく。
このあたりから映画は杉戸八重を追います。大湊から上京し闇市などで働きやがては再び娼妓になってしまう。
後半はそれからほぼ10年後のことです。売春防止法の成立により、娼家は店を閉めざるを得ない状況にある。
杉戸八重は新聞記事で犬飼が舞鶴にいることを知る。彼は名前を変えているから他人かもしれないが、会えばわかる。八重は犬飼に会いに舞鶴にきた。
しかしこのことが新たな殺人事件を引き起こしてしまうことになる。
敗戦後の貧しい社会がそこにある
社会派推理小説の雰囲気をそなえている本作です。敗戦後の貧しい日本がここに描かれています。
八重も犬飼もどこか境遇が似ているように思う。寒村の生まれで家を出た、いや出ざるをえなかった。女は女郎屋で身を売り、男は北海道へ渡り牧場で働いた。
あがいてももがいても貧しさから、這い出せない。そんなときに犬飼は大金を手にする。その金が血で汚れた金だとわかっていても、これで新しい人生を歩みだせると考えたとしても無理からぬことだろう。
そんな犬飼が八重と出会い、八重にポンとそのうちのいくらかをあげてしまう。八重もまたこの金で借金を返し上京し、新しい人生を夢見る。
貧しさといえば、もうひとり函館の老刑事も裕福ではない。二人の子供にお腹いっぱいたべさせることができない。おそらく真面目な感じの老刑事だから闇米には手を出さないでいるのだろう。闇米を食べずに餓死した裁判官がいた時代、地方の刑事では収入も大くはなさそうだし苦労したことだろう。
充実のキャスト
犬飼を演じたのは、三国連太郎。
貫禄のある人物で成功者にも見えるし偽善者にも見える。悪だけではなく、内にはやさしさと弱さも存在している。このバランスは絶妙です。
杉戸八重には左幸子。
可愛らしさの中にいくばくかの狂気を秘めている。舞鶴へ犬飼に会いに行くのは良しとしても、当人が否定している状況では諦めるべきでした。
函館の老刑事に伴淳三郎。
喜劇人がシリアスな芝居をすると妙にハマることがある。風采のあがらない恰好ではあるが笑いをとるものではない。
舞鶴の刑事に高倉健。
彼が演じるから正義感ある刑事に見え、三国が演じる犬飼が悪党のようにも見えてしまう。おそらく観客は高倉健の側に立って三国連太郎を一緒になって糾弾するのだろう。
でも、ちょっとこの刑事では力不足かな。
映画が公開された1965年は、前の年に東京オリンピックが開催されている。もう終戦直後の苦しい状況にいない人が多いだろう。忘れちまっていることだろう。そんな時に『飢餓海峡』は撮られた。