映画『獄門島』(1977)
本日は『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』につづく市川崑監督による横溝正史シリーズの3作目『獄門島』(1977)のご紹介です。
これまた古い映画であり古い原作でもあるのでネタバレを気にせず書いてます。あらかじめご了承ください。
終戦まもない昭和二十一年夏、瀬戸内海に浮かぶ獄門島で網元の娘たち三姉妹が次々と殺されてゆく。獄門島は、古くは瀬戸内海の海賊の拠点とされ、旧幕時代には流刑の地とされていたそうで、つまり島の住人は海賊と流人の末裔だという。
市川崑監督の横溝正史シリーズは、こういったおどろおどろしさというものは、それほど前面に出してこない。事件の舞台の背景として因縁が存在するけれども、今起きている事件は事件として見ている。
変な土着的な粘着質はなく、ある種の爽やかさがみてとれる。
前作『悪魔の手毬唄』は冬の山村が舞台ということもあってか、少々動きも抑制され、話の内容も重いものになってしまいましたが、『獄門島』は季節は夏。復員服姿の海賊の捕り物もあって金田一耕助もよく動く。
島の全景の映像は、瀬戸内海の中ほどにある周囲二里ばかりの小島というより、南海の孤島インファント島に近いような気もしますが、あまりお気になさらずにご覧ください。
殺人は俳句になぞらえて美しく演出される。使われる俳句は次の3つ。
鶯の身を逆さまに初音かな 其角
むざんやな冑の下のきりぎりす 芭蕉
一つ家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉
『犬神家の一族』は犬神家の三種の家宝「斧・琴・菊」に、『悪魔の手毬唄』は鬼首村に伝わる手毬唄に、それぞれなぞらえて殺人が演出されていた。
小説としては『獄門島』のほうが古いので、死体を飾る横溝流の演出はコチラが源泉といえるかもしれません。
映画『獄門島』は女優さんが素敵です。
まずはヒロインとも言える大原麗子。網元の娘で島から出たことが無いらしく金田一に島から連れ出してほしいなどと仰ったりもする。
ご年輩の方はご存知だろうと思いますが、ウィスキーのCMで「少し愛して、長く愛して」と言ってる姿、惚れました。あのCMも市川崑が演出。もっと長く活躍していただきたかった。
惜しまれる女優といえば巴御寮人を演じている太地喜和子。文学座らしい早口でセリフを立板に水。とても艶のある女優さん。
思えば、あたしゃ同年代のアイドルよりも、和装の似合う年上の女優に惹かれたガキでした。
三木のり平演じる床屋の娘に坂口良子。『犬神家の一族』では旅館の女中役でした。本作でも連続殺人というミステリーの中で明るさとコミカルさがあり一服の清涼剤の役割を担ってます。
この島は俳句が盛んらしい。この床屋の娘も一句口ずさみます。
入船も出船も絶えて島の夏
なかなかのもんです。
他に殺される三姉妹の長女に浅野ゆう子。おそらく当時はアイドルだったんじゃないかと思いますが、かなり個性的な配役。
網元の家の女中の司葉子。いつも猫がくっついているのが面白い。
祈祷師で女役者の草笛光子は葛の葉だの道成寺だの劇中劇で披露してくれます。
それに色の白い役者のような優男役のピーター。あ、女優ちゃうわ。
さて映画『獄門島』は、原作と犯人を一部変えてきました。犯人を変えたことで市川崑の横溝シリーズらしさが出ました。
それは3作品とも、子を思うが故に罪を犯してしまう母が描かれていることです。
男が権力を誇示する閉鎖的な社会の中で、我が子恋しさのあまり罪を犯してしまう母を責め立てることもできない。また、私利私欲のみの犯行ではないために、潔さも兼ね備えている。
さて『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』『獄門島』とシリーズは三作品で終わりとしたかったようなエンディングですが、大人の事情はそうさせなかったようですね。市川崑はこのあと2作品を石坂浩二の金田一耕助で撮ってます。