晴れの日にも、 夜雨を

11月下旬。
もう冬なのに、暖かい日がつづく。
小春日和が終わらない。
水仙が、ヤイバのような葉を伸ばしてる。
いつもより、早いようだ。

こんな天気が続くと、気のせいか、感覚がモヤっとして、
頭もスッキリしない。
かといって、急に、一日に10度も上下すると、頭が痛い。
急激とか、過激とかは、できればご遠慮ねがいたいものだ。

でも、変化が嫌いというわけでもない。
"万物流転"とか、"諸行無常"というのは、どうもその通りのようだ。
やっと、このごろ少し受け入れられるような気持ちが生じてきた。
それまでは、自分の思考パターン、行動パターン、生活パターンをしっかり固めることが、自己を確立することだ。
それでこそ、ブレずに、落ち着いて、平安に人生をおくれる、と思い込んでいた。
だから、卑近な例だが、お気に入りのジャケットが、消耗・破損したりすると、難儀だった。
同じようなものを、あちこち、探し回り、疲弊した。
なにごとも、決めてしまって、それにしたがっていれば、安心できるといった妙な感覚をもっていた。
(本質は、面倒くさがり屋なのだ、と思う。)

時計は、24時をとっくに過ぎ、
小腹が空いてきて、コーヒーとクッキーくらい食べたいのに、
歯みがきが面倒で、寝つかれなくなるのがいやで、カップのお湯だけだ。

雨音が聞こえてくる。
夜の雨は、気持ちが落ち着く。
いつも、こんな平安な気持ちでいれたら、いいな、と思う。
昼間の仕事のことは、夜には思い出したくない、関係したくない。

生きることの達観、自在の境地は、無理だが、
夜の静けさと雨音には、ときどき浸りたい。
無用な興奮、過剰な熱気をさまして、正気に戻るひとときになる。
そうであってこそ、まわりも見えて、遠くも展望でき、
確かな日々をおくることができるかもしれない。

スマホの画面で、忙しそうなヒトが、さらにあちこちに顔出しして、自身を駆り立てているような姿を見るにつれ、
静かに過ごす時間は、とれてるのだろうか、
正気に戻る時間は、あるのだろうか、
幸福な人生を送っているのだろうか、とふと思う。
余計なお世話だろう、、、

朝の通勤途中、横目で見かけるファーストフードのメニューの変化で、
季節の移り変わりに気づく、サラリーマン。
指導者でも、インフルエンサーでもない、ただのヒト。
社会のため、みんなのために、特別何かができるわけではない。
リアルなヒトが見えづらい、体温さえも感じることの少なくなった世界で、
あえて、小さくつぶやいてみる。
「 静寂な時間はありますか、、、」
「それで、十分ですか、、、」

自分も含めて、そんな働き者全員に、
夜の静かな雨音を、送り届けられたらいいな、と思う。
これも、勝手な、大きなお世話なのだろうか、、、


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