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腰痛は治らない
どんなタイトルにしたものか悩んだけど、「腰痛は治らない」ということにしておこう。
整体院をやっていると、いろいろな痛みを抱えた人が来てくださるのだが
「ぜんぜん治らないんです」
という人がときどきいらっしゃる。
そういう人は共通点があって
そりゃ、そうだ、と思う。
完璧に痛みをゼロにすることが「なおること」だと思い込んでいる人。
これはそういう人たちを非難するつもりで書いているのではないし、わたしたちの技術が未熟なことを認めたくないからそういうことを言っているのではない。
ゴッドハンドで治してもらえると信じているのなら、どうぞそういう先生のところへ行ってください、と思う。別にうちでなくても…。整体院はたくさんあるのだから。
一発で治りました!
なんていう人もいるかも知れないが、それがほかの人にあてはまるとは限らないし、痛みの感じかたは人それぞれだから。
そもそも、手技で一発で治せる人が本当に存在するのなら、その人に全員診てもらえば世の中から腰痛はなくなるはず。でも、そうではない。
手技でできることなんて限られている。
責任逃れのつもりで言うのではないが
手技でできることはあくまでも良くなるための「お手伝い」。治すのは自分のカラダなのだから。
人頼みにすればするほど、腰痛はよくならない。
だって考えてみたら、腰痛になる原因をつくったのは誰でしょうね?
自分でしょ。
普段の生活習慣、食事、睡眠、運動、そのほかにもだいじなのは「考え方」。捉え方といってもいいかもしれない。
「腰が痛い」と思えば思うほど、痛くなりますよ?!
「痛み」にフォーカスすればするほど、「痛み」に敏感になる。
あ、まだ痛い。前よりだいぶ良くなったけど、まだ痛い。と、エンドレス。
そりゃ、良くなるものもよくならない。
「○○しないで」「○○禁止」
といわれるほどに、○○が気になるし、○○したくなるもの。
だから、腰痛を治したかったら、腰痛のことを考えるのをやめる。
「考えるのをやめる」だと「考えて」しまうから、ぜんぜん別の、楽しいことを考えるようにする。
なーんてことを、頭の中では考えているのだけれど
実際、腰痛で困っているひとを目の前にすると、「なんとかわたしが助けてあげたい」と思ってしまったり「わたしの手技で少しくらいは楽になるんじゃないか」と思って一生懸命施術してしまう。
のだが。
このあたりは塩梅がむずかしい。
「わたしには治せませんよ」なんていうのはあまりにも乱暴だし、「施術だけで腰痛は治らない」ということをいかに理解してもらうか。
人の身体は基本的に「よくなる」ようにできているのだから「痛み」が出ているということは、なにかのSOSなわけで。「痛み」=「悪」ではないし、もうちょっと気をつけようね、のサインだと思って、それまでの自分を振り返ってみてほしい。
最終的には、人の手をかりなくても(整体院に通わなくても)自分の力だけで不調を克服できるのが良いとは思う。ただ、そうはいってもたまには人の手で「てあて」されることは悪いことではないし、良いんじゃないかなと思っている。少なくともわたしは、人の手による「てあて」は必要だ。
今は、痛みがつらい人に来てもらっている整体院だけど、理想をいえば「痛みをとるために整体院にいく」じゃなく、「『てあて』してもらいに整体院にいく」になりたいなと思う。あともう一つ、大事なことは腰痛に限らずなのだか、「痛み」というのはメンタルの影響をめちゃくちゃ受けるということ。痛みというのは、目に見えなくてほかの人には理解しづらく、客観的な数値で評価することも難しいからとてもやっかいなのだ。
そんな痛みの原因になっているストレスを「てあて」で緩和させることは十分可能だと思うし、人とのコミュニケーションでもってストレスが緩和された結果、痛みが和らぐことも大いにある。
そんなこんなをまるっとカバーできるような、そんな整体院でありたいなぁと思う。最終目標は、「痛みをゼロにすること」ではなく「痛みを気にせずにやりたいことができる」だと思っているから。
こういうこと、言語化するの難しいなぁ…。
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![長谷川 知美|整体師@YouTube動画編集](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55399289/profile_828f169bcf3f9c4b6dfaa41c6400b5b6.png?width=600&crop=1:1,smart)