「恐怖心」がプロのモチベーション/再投稿
英語指導者としての恐怖心
以前の投稿でも少し触れましたが、20代で企業を辞めた後に初めて塾を共同設立した時の話です。
地元No.1の進学高校の生徒たち 15, 6名から次々と予想できない質問が飛んでくることは、恐怖以外の何ものでもありませんでした。
講師になってまだ2、3年の私が準備した英語関連のものは難なくこなし、それに付随する質問の内容は想定外の予測不能、それが怖くて 2時間授業の準備におそらく丸1日かかっていたと思います。
これに関して聞いてくるかもしれない、あれに対しても聞いてくるからという具合に。
生徒たち自体は男子も女子も皆いい人間性の持ち主でしたが、こと授業になると真剣勝負。当時毎週水曜日にあっていた授業でしたが、前の日からブルーな気分になり彼らの質問が怖くて半ばノイローゼ気味にも。
他の投稿にも書きましたが、この彼らの1年半の授業が終わった時に彼らから「授業毎週楽しかった、おもしろかった」との感想をもらった時は何か不思議な感覚になりました。
私の授業なんか駄目なんだろうな、満足できないだろうなと思い続けた 1年半でしたから。
その生徒の中から医師になったもの、私よりも先に渡米してニューヨークの旅行代理店で働き、私が留学する先の情報なども送ってくれるような行動力抜群の生徒たちでした。
この生徒たちとの 1年半が私の英語講師の基盤の一つであり、このことを契機にもっと生徒たちの期待にしっかり応えられる英語講師になりたいと強く感じ留学を決意。その2年後に渡米したのも、元はと言えば目に見えない生徒たちからのプレッシャーが大きく影響したと思います。
コーチとしての恐怖心
話は大学時代に戻りますが、私のバスケットボール関連の投稿を読まれている方はお分かりだと思いますが、秋のリーグ戦初戦、試合開始数分前の練習のケガでリーグ戦に1度も出れなかったキャプテン。
その翌年、クラブ内のルールで大学3年時のキャプテンは4年生になるとそのままコーチになります(就活にも影響するので誰もやりたがりません)。
キャプテンなんて大声出してチームを引っ張っていればいいのですが、コーチはそうはいきません。
まして、一つ下の学年はほぼ全員インターハイ経験者(一人は日本代表高校選抜の主将ですよ、誰でもビビります!)の強者わがまま3年生ばかり。
合宿や日頃の練習プラン、どうすれば今のチームで春と秋の連覇を継続できるかは私にとっては相当なプレッシャーでした(結局、私のコーチ時代は春も秋も3位)。
春のトーナメント戦のある試合で、当時のルールは試合終盤のファールに対してはスローイングをするかフリースローをするかの選択権はベンチのコーチに。
試合の残り時間との兼ね合いから、私は得点差を広げようとフリースローを選んだのです。ところが、安全策を取るためにはボールをキープすればいいのですから、本来はスローイングを選択すべきだったのです。
幸い、フリースローが入り試合に勝つことができましたが、3年生の一部から試合後に強い抗議を受けました。「なぜあの場面であんな選択をしたんですか? 当然ボールをキープすべきでしょう!!」と。
正論中の正論です。
心の中では動揺しまくりましたが、「あの時は敢えて攻めて確実に試合を決めたかった!」と言い張りました。彼らは納得したのかどうか分かりませんが、それ以上は何も。
私は、この時こんな辛い役割はもう嫌だなと春のトーナメント戦が終わると、まだ学期の途中でしたが福岡の地元友人に連絡してどこか登山のできるところに連れて行ってほしいと頼んで短期帰省。
結局、その当時登山にはまっていた友人が私を連れて行ってくれたところは熊本の阿蘇山のふもと。
都会とはかけ離れ、東京の出来事なんて何もなかったかのような景観や空気を満喫した気持ちのいい一泊二日のキャンプで、あれだけ沈んでいた気分も嘘みたいに晴れてそのまますぐに東京へと戻りました。
この2つの共通性
この2つの経験に共通していることは恐怖心です。
優秀な生徒たちからどんな質問が飛んで来るんだろうか、優秀なプレーヤーたちからまた何を言われるんだろうかと不安と恐怖の孤独の中、仲間や同僚は手伝ってはくれても、その役目は私がするしかないのです。
そのステージに立った者にしか味わうことのない恐怖心、そしてそれを乗り越えた時の安堵感や喜び。その繰り返しが専門性を目指すものの土台を固めていってくれるのではないかと後になってようやく気付くのです。
その時は無我夢中ですから、そんなことに気がつく訳もありません。
以後、私は学年にもよりますが受験生たちの1回の2時間授業のために、平均丸二日は準備をして毎回の授業で自分の伝えたいことを生徒たちと話し合ってきました。
生徒たちの前で答えられなかったらどうしよう、満足できない授業をしてしまったら生徒たちからの信頼を失い、自分の英語講師としての力も埋没してしまう。
そんな本来「負の感覚である恐怖心」が、私を駆り立て馬鹿まじめに物事に取り組んでこれたのかと思います。
ですが、それは何も英語講師に限ったことではないと思います。
どんな分野のプロと名のつく人たちも苦しみながらも実力を身につけ、他の人たちからの信頼を得るために日々努力する。
その背景には、やはりこの恐怖心があるからではないでしょうか!?
つまり、単に怖がりそれに近づかなければ何も起こりませんが、必要なものに対する恐怖心であれば、ある程度、それと向き合っているとその時は嫌でも後になってみると自分が向上していくプロセスには不可欠なものだったと思えるのでは!?
怖いから準備する、怖いから練習する、昨日まで出来ていたことが出来なくなることが怖いから、今日もそれをする。
それが程度の差はあれプロと呼ばれる人たちのモチベーションになっていることは確かだと思うのです。
逆に、その恐怖症がなくなった時はどんな分野のどんなレベルのプロであれそこで成長は止まりますから、プロと呼ぶことは遠慮すべき時かもしれません。
ノイローゼになるまでやる必要はないのですが(その時はスッパリ止めるべき)、今やっていることが嫌なんだけども、どうしてもやる必要性があると感じているのでしたら、一旦そこから離れてもいいですから、もう少しそれを継続してみてください。
私の過去の経験のように将来の大きな基盤となるプロセスの最中にいるのかもしれませんから。
筋痛症患者として
これはこじつけになるかも知れませんが、私は、今、線維筋痛症再発6年で闘病中なのですが、この「恐怖心」を利用して私はプロの患者でいようと思います。
怖いから病気を知る、怖いから病院には行くけど全ては鵜呑みにしない(2017年の整体大失敗は痛みに負けて自分を見失っていたから)。
怖いから現状から逃げ出したくもなりますし、上の話とはまた次元は違いますが、必要性を感じるからプロの患者として病と対峙しています。
今は病再発6年にして回復7~8割程度ですが、この闘病が終わったらまた自分が少しは成長して変われるんだと信じて生きています。
今回も最後まで読んで頂き有難うございます。
誰かのお役に立てれば、この投稿の意味がありますので幸いです。
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