道化師の歴史とピエロの涙
年末年始を挟み、立て続けにバレエを2本観る機会があった。
そのうちの一つ「白鳥の湖」を観た時のこと。
プログラムを見ながら娘トラが言った。
「"ドウカ"って何??」
コンサートや舞台のプログラムなどいつもは無関心なトラだが、このバレエの唯一の日本人ダンサーが「道化」役だったのだ。(海外バレエ団では小柄な日本人は道化役をすることが多いらしい。)
英検でFactoryを知らないのも驚いたが、道化も知らないとは。
もっとも私も、中学生の時にさだまさしさんの歌「道化師のソネット」で道化を知ったのだが。
「"どうか"じゃなくて、"どうけ"って読むんだよ。
ピエロのことを日本語で道化師って言うんだけど、聞いたことない?」
「知らない。」
「ふざけることを"おどける"って言うでしょ。
簡単に言うとお笑いのボケ役みたいなものかな。」
「でもこの人、ピエロには見えないけど?」
「昔のピエロっていうか・・そうだ、トランプのジョーカーも道化なんだよ。」
「ジョーカーか!
確かにジョーカーに似てるね。」
道化を説明しようとしてピエロやジョーカーぐらいしか出てこない私も威張れたものではない。
そこで帰宅後さっそく道化について調べてみたところ、なかなか興味深い歴史があるではないか。
バレエに登場したのは、まさにこの宮廷道化師。
おそらく昔の権力者にとって道化(英語ではfool)の人々は、その純粋さゆえに対価をねだらない、裏切らない、ぞんさいな扱いをしても構わない、犬や猫よりは知恵がある、などといった面で何かと使い易かったのだろう。
今なら人権問題で訴えられること間違いなしの話だが、普通の人々でさえ食うや食わずの中世である。
当時、道化となるような人々が他に生きる術など無かったことを思うと、道化というシステムには、権力者による慈善や社会福祉的な意味合いもあったのかもしれない。(もっとも表向きは慈善で、実は慈善家という名誉を手に入れたかっただけかもしれないが。)
・・・とここまで書いてふと思い出した。
そういえばかつて観劇したミュージカル「笑う男」の主人公も道化だった。
人さらい集団に誘拐された主人公グウィンプレンは、口の両端を切り裂かれ貴族らの娯楽施設である見世物小屋の道化にされた。
彼の場合は生まれつきの障がい者ではなかったが、当時親を失った子はどのみち野垂れ死にするか道化になるしかなかっただろう。
ところで、現代のピエロのメイクの意味をご存知だろうか。
一説によると、白塗りの顔は「感情や言葉を失った死人」を。
そして頬に描かれた涙は「感情を押し殺しおどけて笑いものにされるピエロの、実は傷ついた心」を表しているのだそうだ。
その涙はお笑いのボケ役などではなく、あざけり笑われる存在としての涙。
もしかするとそれは、悲惨な道化の歴史を嘆く哀しみの涙でもあるのかも・・などと想像しては、遠い中世のノスタルジーに浸る私なのだった。