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困ったさんの対処法

世の中には、多分一定数【常時誰かを攻撃していたい人】ってのがいる気がする。

それに当てはまるのかどうかはさておき
我がグループのA主任は、とても言葉の圧力が強い。


なぜこうなったんですか
本当ですか
なぜそう思ったんですか
こちらの意図が伝わっていないのですか

ミスターA


話し方なのか、声質なのか、ただ質問攻めされているだけなのに、攻撃されているような気分になる。

そもそも質問攻めされる という状況が耐えられない というケースもあるものの、何だろうこの高圧的な聞き方は。

私はかつてA主任からの質問攻めを
『相手がタラちゃんだと思い込む』という作戦で乗り越えたことがある。

なんでこうなったんでしゅか
本当でしゅか
なんでそう思うんでしゅか
僕の気持ち伝わってましゅか
そんなこと聞いてないでしゅー
最初からそう言ってるでしゅー

タラちゃん

ああ、あれか
好奇心旺盛なちびっ子か。

実際のA主任はタラちゃんというより かりあげクンにそっくりですが、母性をくすぐる妄想に変換するだけで少々心が穏やかになったから不思議だ。

しかしながら、同じ悩みを抱える他の社員に対してのアドバイスとしては全く通用しなかった。

かりあげクンはわかるけどタラちゃんは無理だって。

そうでしょうね、知ってたよ。


彼と一緒に仕事をすることは避けられないので、いかに心穏やかに円満に業務が回せるかを考える過程で
文字ではかなり高圧的だが、実際に話すとそうでもない という事実にぶち当たった。

そうと分かれば攻撃される前に直接対決に行けばいい。それだけで揉めるもんも揉めない。
しかしながらこのご時世同じフロアに居ても会議はWebだし、片方がテレワークなどしていたらもう解決策がないので考えものではあるが。

ユーザ対応においても、気に入らない上司に対しても、手のかかる新人に対しても、その人を攻略することで一歩人として近づいて理解しようと試みるのが私の良い所である。我ながら。



そもそも彼はとても仕事ができる人で、一度にたくさんの案件を抱えているにも関わらず全ての案件の状況を把握している。
その上で、実作業者に細かい指示やツッコミや質問攻めを繰り広げるんだが、言っていることは間違ってないし 彼の言うことを聞いていれば業務が正しく遂行できることも頭ではわかる、ただし精神が持たない…という極地にかなりの人数が落ちていく。

言い方って大事だ。
同じことを別の人から指摘されても穏やかな気持ちで聞けるのに、彼に突っ込まれると これまでの努力を全否定されているような気持ちになる。

それもなんというか
一撃で仕留めてくれればいいものの、触れるか触れないかの弱火でじっくり焼かれる感じ。日々の細かい攻撃が積み重なって気付いた時には結構なダメージを食らっている。

低温ヤケドとか疲労骨折とかそんな感じ。

同じとこ何回も骨折すれば強くなったりするんかもしれんけど、毎回別んとこ折れるから困る。


かつて涙を浮かべて声を震わせて頭を抱えながら思い詰めていた新人の若い男性社員も、半年の時を経て 未だに同じ反応をしながらA主任と戦っている。

私も戦闘員の一人であるが、私は独自に編み出したタラちゃん戦法で質問攻めを乗り切ったり、少々不安があっても自信たっぷりに言い切るという戦略が彼には効くことを覚えたので、少なくとも時折雑談が交わせるレベルには仲良く?なった。

だがしかし、現在の私はチームの取りまとめという立ち位置が故に、私個人が責められるよりも遠回しにメンバー全員を否定される発言をされたりだとか
常時私を経由して状況確認を頻繁に行われることによる時間と気力の消耗、そして全員の作業内容を把握・管理できていないことへの叱咤激励の繰り返し。

いや、激励などない。
オンリー叱咤。ザ、ベストオブ叱咤。

主任という立ち位置は役職者の中では一番下であり、彼の上には更なる上長がいるわけで
役職なしの社員や、単なる一般派遣の我々にとっては確かに上司ではあるものの、「貴方が一番偉いわけじゃないんだよ」と心の奥底でぼやく日々。


仕事ができる人はカッコイイし
着実に周りの状況を把握できる神経の機敏さや頭の回転は本当に尊敬する。

しかしながら、物言い一つで相手の精神にダメージを与えてしまうのって、それ以上に大変なリスクであり 【もったいない】に尽きる。



冒頭の一文に戻るけど
世の中には、多分一定数【常時誰かを攻撃していたい人】ってのがいる気がする。

例えばSNSで見ず知らずの人や芸能人に食って掛かって面白がってるような人や、会社や学校で常に自分より弱い立場の誰かに 解決できない正論や 誰が悪いわけでもない文句を伝え続ける人がいる。


ここから先は偏見も含まれているので、そういう前提で読んで頂けると光栄なんですけれども

SNSで悪態をついて他人を攻撃する人って
きっと自分の身近な人が同じ投稿をしていようが見過ごす気がするし

会社や学校で弱い者いじめする人って
自分より強い人に対しては やたらと媚びを売ったりする。


どっちにしても、日頃別ルートから抱えているストレスを発散したいだとか、自分に自信がないからこそ 自分の意見や存在を肯定するために人を攻撃するとか、考えれば考えるほど そういう人は【人生に対する満足感】が低いんだろうな って思ったりする。

逆に言うと
そういう考え方を根本に置いておくと、大概のちょっとおかしな人や理不尽な発言って、マザーテレサになった気分で受け止めてあげられたりする。


毎度毎日私も心にゆとりがあるわけではないし、実際はマザーテレサではないので、受け止めきれなくて火傷するときもあるけど。



要するに
物は考え様、物は言い様、大切なのは 思いやりと寄り添いの気持ち。

これで大概の問題は解決する気がする。


世の中では今、そう簡単に解決しなさそうな問題だらけで大変心苦しい毎日である。


ニュースで流される、とんでもない状況に置かれた日飛び地を見ていると いかに自分が幸せな環境でありがたい生活が送れているのかを実感せざるを得ないわけだけど

たくさんの人が報道と自分を比較して心許ない気持ちになっているであろう現代も、喉元過ぎれば熱さを忘れる じゃないけども
数分後には当たり前のように、自らが抱える些細な悩みや苦労と戦うことになる。それは仕方ないし、どうにもならない。


3月11日、14:46に黙とうを捧げたところで
東日本大震災で犠牲になった人たちは帰ってこないし
これまでに起きた災害は、東日本大震災だけではない。

大切な人を予期せぬ事故や災害で失った全ての人にとって、その全ての日に亡くなった人や残された人の魂が留まっているような気がするから
特定の直近の大きな災害だけを取り上げて国民の大半が黙とうを捧げる という行為にも 少しだけ違和感を感じたりはする。

その1分間、みんなが目を瞑ることより、一人1円赤十字に寄付したほうがよっぽど助かる人もいると思うしな。


でも要するに、
物は考え様、物は言い様、大切なのは 思いやりと寄り添いの気持ち。

結局のところは何もかもそこに繋がっていて、人間が「想い」を持った生き物で この世が人間様で回されている限り

理想論にすぎないかもしれないけれど
相手を想う気持ち、寄り添う気持ちを大事にすることで救われることもある。




社内放送と共に
全員が仕事の手を止めて一斉に起立し
完全無音の空間に置かれた1分間は
直接被害に遭わずに済んだ自分の心ですら洗われる気がするんだから、不思議だ。



世の中は不思議なことだらけだ。
今日は、高圧的な かりあげクンの話をしていただけなのに。

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