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【映画感想】「ACIDE/アシッド」彼女にお熱な脳筋男と小娘が死の酸性雨から逃げ惑う、サバイバル・パニック映画

こんにちは、電影雑記@横浜森林です。
今回紹介する映画は、フランス映画『ACIDE/アシッド』。
あらゆるものを溶かすほど強烈な酸性雨が降り注ぎ、国中が大混乱に陥る中でフランス人の親子が生き残りをかけて決死の逃走劇を繰り広げる、サバイバル・パニック映画です。


作品情報

作品名:ACIDE/アシッド(原題:ACIDE)
監督:ジュスト・フィリッポ
製作国:フランス
制作年:2023年
出演:ギヨーム・カネ、レティシア・ドッシュ、ペイエンス・ミュンヘンバッハ、マリー・ユンク

あらすじ

異常な猛暑に見舞われたフランスで、人や建造物など、あらゆるものを溶かすほど強烈な酸性雨が突如降り注ぎ、多くの人々が命を落とし街は大混乱に陥る。
フランス全土が大混乱に陥る中、主人公ミシャル、元妻のエリーズ、一人娘セルマの3人は「死の酸性雨」の恐怖から逃れるため、安全な場所を求めて必死に逃げ惑うが、そんな親子3人の行く手に酸性雨のさらなる恐怖が待ち受ける。

この映画の何が評価され、日本公開が決まったのだろうか?

画像引用:(c)創通・サンライズ

「死の酸性雨が降り注ぐ世界で、極限状態に追い込まれた人々の決死の脱出劇」という紹介を映画館にあったチラシか何かで軽く見て、「この映画、面白そうかも」と思い、映画館に赴いたわけですが

駄作でした。ええ。
大事なことなのでもう一度言いますよ。
駄作です。この映画。

大人なのでソフトな言い方していますが、友達に「どうだった?」と聞かれたら、「ウンコ映画だった」と即答してしまう、そんな映画でした。

えーと、この映画は一体どういう部分が評価されて、日本での配給が決まったのでしょうか。

映画の展開にまったく不要な、無駄な人物設定・描写

画像引用:WEB映画マガジン「cowai コワイ」

映画は、殺気立った労働者たちの抗議活動のシーンから始まるのですが、会社社長か責任者らしき人を取り囲み、罵声を浴びせる労働者集団のところに、抗議活動の鎮圧のために、機動隊が投入され、労働者と機動隊の小競り合いが始まる。
すると、労働者の一人が倒れた機動隊員に馬乗りとなって、ボコボコに殴り始めるのだが、駆けつけた他の機動隊員たちにあっさり取り囲まれ、逆にボコボコにされて逮捕されてしまう。

この冒頭のシーンで機動隊員に馬乗りとなり、暴力を振るっていた労働者の男が、この映画の主人公・ミシャルで、彼は逮捕後に仮釈放処分となったものの、足首にはGPSを付けられ、行動制限・監視を受けて生活している、というのが、この映画における主人公ミシャルの境遇・設定。

この映画の駄目なところは、「仮釈放中のため、GPSを付けられ行動制限・監視を受けている」という、主人公の境遇・設定が、この映画の展開にまったく何も関係・影響しないところ。
たとえばですよ、死の酸性雨から逃れるためにフランスから隣国に渡ろうとするが、ミシャルは行動制限により、出国が禁止されており、勝手に出国してしまうと、仮釈放処分が取り消され懲役刑になってしまう、とかね。そういう、死の酸性雨からの逃走を阻む「縛り」要素として使うのかと思いきや、彼の境遇は物語の展開において特に何の意味も持たない

それなら、そもそも主人公が逮捕される原因となった、労働者の抗議活動のシーンは映画の冒頭に入れる必要性が全くないですよね。

元妻が死に残された家族は娘セルマだけなのに、アホな主人公は彼女のことで頭いっぱい

画像引用:WEB映画マガジン「cowai コワイ」

主人公ミシャルには、エリーズという妻と、セルマという娘がいるのだが暴力事件での逮捕がきっかけなのか、エリーズとはすでに離婚しており、現在はベルギーの病院に入院しているカレンという彼女がいる。

そして、主人公のミシャルは終始、この彼女・カレンのことで頭いっぱい。
避難する道中で、橋から川に落ちて元妻が溶けて死んでしまう、という悲劇がおきた直後でも、カレンのことで頭いっぱいだし、死の酸性雨から必死で逃げている道中でも、娘のセルマに隠れて、カレンにたびたび電話を掛けては「愛してるよ」とか言って童貞男子の如く、彼女のことで頭いっぱいなわけ。
しかも、元妻エリーズの兄と合流して一緒に避難しようって話になっていたのに、なんせベルギーの病院に入院中のカレンのことで頭いっぱいの脳筋野郎だから、「エリーズの兄が電話に出ないからベルギー行く」とか言い出して、娘を連れてカレンのいるベルギーに無理やり行く始末。

そこまでミシャルがカレンに夢中なのであれば、そもそもミシャルにとって「カレン」という彼女はどういう存在なのか?それを映画の中できちんと説明すべきなのに、そこの説明が一切無いから、ミシャルが思慮分別に欠ける、ただの脳筋野郎にしか見えないわけですよ。

必要のない人物設定や描写は無駄にするくせに、もっと説明した方がよいミシャルとその彼女・カレンの関係性は、全然説明しないから、映画を観ている側もミシャルに感情移入できないし、気持ちが全然盛り上がらないから「この脳筋野郎、またカレンに電話してやがるわ」としか思わない。

主要登場人物の人間性が総じてクソだから、感情移入などできるはずがない

画像引用:WEB映画マガジン「cowai コワイ」

ミシャルの娘・セルマに関しても、何の可愛げも愛嬌ない小娘だから、たとえ彼女が危機的な状況になっても観てる側には「可愛そう」とか、そういう同情的な気持ちが一切起こらない。
しかも、思春期真っ盛りのガキにありがちな、一人よがりの正義感・親切心による身勝手な行動で身内を危険に晒しているのに、そこから何も学ばず、最終的に自分の父親まで死の危険に晒す馬鹿っぷり。そして、自分で危機的状況を招いておいて、最後は「お願い!助けて~!」と泣き叫んで人頼み。

一方、彼女のことで頭いっぱいな脳筋野郎・ミシャルは、危機的状況で助けてくれ、家に入れてくれた親子に対して悪態ついたり、危機に陥ったその親子を放置したあげく、その家の車を盗んで自分たちだけ逃げるという、クソな人間性をこれでもかと見せつけてくる。

そう、この映画は親子ともども人としての魅力が皆無で、ともに人間性がクソだから一切感情移入などできず、馬鹿な親子の成り行きをただただ見させられる、そんな作品と言ってもよい。

人間ドラマの機微を描く技量も無ければ、エンタメに徹する技量も無し

画像引用:WEB映画マガジン「cowai コワイ」

人間ドラマの機微を描く技量がないくせに、人間ドラマを展開するために要らない設定・描写を中途半端に盛り込んだ結果が、この残念な出来栄えである。

これがたとえば、ハリウッド映画だったら、おそらくミシャルの「仮釈放中で行動制限・監視を受けている」や「妻とは離婚し、カレンという彼女がいる」などといった、余計な人物設定などはせずに、降り注ぐ「死の酸性雨」から逃れるために、ミシャル一家が奔走するパニックムービーとして、楽しめる娯楽作品に仕上がってたかもしれない。

ディザスター映画『ツイスターズ』の素晴らしさを改めて実感

『ACIDE』を見ると、直近で見たディザスター映画の『ツイスターズ』って娯楽作品として素晴らしかったなと、あらためて実感。
『ツイスターズ』は登場人物たちに魅力もあり、きちんと盛り上がるポイントもあり、なおかつ主要登場人物の背景もきちんと描いているから、登場人物たちの行動・振る舞いに感情移入がしやすいしね。

というわけで皆さん、『ツイスターズ』はしっかりと楽しめる娯楽映画なのでおすすめです。

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