【映画感想】『西湖畔に生きる』天上の美しい茶畑から違法マルチ商法の地獄に堕ちた母を救うため、息子は地獄に足を踏み入れる
こんにちは、電影雑記@横浜森林です。
今回紹介するのは釈迦の十大弟子のひとり・目連が地獄に堕ちた母を救う仏教故事「目連救母」に着想を得て制作された中国映画『西湖畔に生きる』です。
最高峰の中国茶・龍井茶の茶畑で茶摘みの仕事をする母が違法ビジネスの闇に落ちていく様子と、その母を救い出すために行動を起こす息子の苦悩と葛藤を描いた作品です。
作品情報
あらすじ
最高峰の中国茶・龍井茶の生産地である、杭州・西湖の畔で暮らす母・苔花と、大学生の息子・目蓮。美しい茶畑で茶摘みの仕事をしながら、母一人で育て上げた息子はもうすぐ大学の卒業を迎える。父親は10年前に行方不明となってしまい、苦労して自分を育ててくれた母に早く楽をさせてあげたいと願う目蓮は、ようやく仕事を見つけ働き始めるのだが、老人相手に詐欺まがいの商売を行う仕事に嫌気が差し、退職してしまう。
一方、母の苔花は茶畑の主人・チェンとの再婚を考えていたが、チェンとの交際が彼の母親の逆鱗に触れ、仕事をクビになってしまう。
茶畑の仕事をクビになってしまった苔花だったが、元同僚に誘われ、軽い気持ちで参加したマルチ商法の集会で洗脳されてしまい、マルチ商法の世界にのめり込んでいってしまう。
母がマルチ商法に騙されていることに気づいた目蓮は、マルチ商法の詐欺から母を救おうとするが、すっかり洗脳されてしまった母には泣いて懇願する目蓮の言葉は一切届かなくなっていた。そこで目蓮は、別人のように変わってしまった母を違法マルチ商法の地獄から救い出すため、自ら地獄へと飛び込む決断をする・・・。
山水画のように美しい茶畑と違法ビジネスの闇が生み出す、強烈なコントラスト
本作は、監督のグー・シャオガンが釈迦の弟子・目連が地獄に堕ちた母親を救うという仏教の故事「目連救母」から着想を得て作られた作品で、違法マルチ商法の闇に堕ちていく母・苔花と、マルチ商法から母を救い出そうと苦心する息子・目蓮の二人を中心に物語が展開していく。
現代社会の闇とも言える「違法マルチ商法」を母親が落ちる「地獄」として描くことになったのは、監督のグー・シャオガンの親族が実際にマルチ商法にはまってしまい、監督自身がマルチ商法の集会に出向き、実際そこで繰り広げられている光景を目の当たりにしたことで、本作の企画・構想を思いついたらしい。
監督自身が「山水画の哲学を映画で表現したい」と語っているとおり、映画の中に登場する茶畑や寺院、森林など、どれも幻想的で美しい。
映画冒頭で映し出される美しい茶畑の空撮映像を皮切りに、まさに山水画で描かれるような「美しいの中国の風景」が劇中に度々登場する。
貧しいながらも仲睦まじい主人公の親子が、のどかで美しい茶畑に佇んで会話を楽しむ姿は、どこかノスタルジックでなんとも言えない美しさがある。
しかしながら、中国の美しい風景を捉えた、郷愁を誘う映像美から一転して「違法マルチ商法」という、人間のドロドロとした欲望が渦巻く地獄へと話が急展開していく勢いが、凄まじい。
「中国の田舎ってのどかで美しいねぇ。優しい母と息子、仲睦まじい母子で素敵だな~」なんてほのぼの気分で観ていると、一気に闇深い展開へと突入し、観客は「おいおい、なんなんだ、この映画は・・・」という戸惑いと衝撃に襲われることになる。
山水画のように美しい、自然豊かな景色と「違法ビジネスの闇」という、両極端の世界が生み出す、強烈なコントラストによって、劇中に登場する美しい中国の自然や寺院などの幻想的な美しさはより際立ち、洗脳された会員たちがマルチ商法に熱狂し、のめり込む様はより狂気的に見えてくるんですよね。
「なんだかわからんけど、この映画はスゴイかもしれない」という、ザワザワとした胸騒ぎみたいな感情を抱えたまま、観客である自分は地獄へと堕ちていく母・苔花と苦悩する息子・目蓮の事の成り行きをただ見守るしかない。
崩壊していく美しい建物を、ただただ何も出来ずに傍観者として観ているような、そんな感じの映画。
「自己実現」と「他者からの承認」という劇薬が母を狂わせていく
茶畑で茶摘みの仕事をする苔花が、茶畑の主人・チェンとの恋愛が彼の母親の逆鱗に触れ、茶畑の職場から追い出されてしまうところから、彼女の転落が始まっていく。
自分と一緒に茶畑の仕事を辞めることになった同僚に誘われ、軽い気持ちで参加した集まりがマルチ商法の集会。
これまでの慎ましい生活では触れたことのないような刺激的な光景、聞く者の気分を高揚させるような言葉の数々と、経済的な成功を目指して情熱を燃やす会員たちのパワフルな姿を目にして、田舎者の苔花はすっかり舞い上がってしまうんだわ。
中国語がわかる人なら気付いたと思うけど、主人公の苔花と目蓮の話す中国語ってすごい訛ってるんですよ(四川方言かな?)。マルチの集会に参加する会員の人たちの話す中国語は訛りの少ない、比較的に標準的な発音の中国語なのに対して、苔花の話す中国語って方言訛りがかなり強い。
そういうところからも、都会的な文化やコミュニティとの接点をあまり持ってこなかった、純朴な田舎者の女性ってことが伝わってくるのよね。
旦那が蒸発してしまい、一人で息子を育てなければいけなかった苔花は、自分の欲望や幸せなんて二の次で、職場である茶畑周辺と従業員寮を行き来するような、限られた生活圏で慎ましい生活を送ってきた女性であることが想像できるわけです。
「もっと別の生き方は無かったのだろうか?」とか、そんな想いがよぎることもこれまで何度もあったはず。
そんな彼女にとってマルチの集会で出会った、経済的にも裕福(実際はそう装っているだけなんだが)で、「自己実現」を果たし自分が主役の人生を歩む人々の姿や、「他者からの承認」というのは刺激の強い「劇薬」に等しく、免疫のなかった彼女がマルチ商法の「成功・自己実現」という虚構に惑わされ、魅了されてしまうのは正直、無理もないよねと思ってしまう。
美人で優しい田舎のお母さんっていう感じだった苔花が、マルチ商法にどんどん狂っていく様子を、観客である我々は見ていくわけなんですが、どんどんおかしくなっていく彼女を見ていると、息子・目蓮が感じる絶望や悲しさ、やるせなさといった感情を「疑似体験」しているかのような感覚になってくる。
現実社会の闇と山水画のような幻想的な世界を行き来する、不思議な世界観
この映画ってすごい独特の世界観があるんですよね。この独特の世界観はどっから来ているのか?と考えてみると、この映画ってマルチ商法の狂気的な集会を捉えた、えげつないシーンと、「山水画」のようなに幻想的で美しい中国の風景などを映したシーンが行き来するのだが、それが妙なテンポとバランスを作り出していて、とても不思議な世界観を持つ映画になっていると思った。
非常に美しく、ノスタルジックな映像を通じて描かれるのが「人間の狂気と闇」という、強烈なコントラストによるぶっ飛んだ世界観で、変な魅力と中毒性すら感じましたね。
これまで色々な映画を観てきたけど、この作品に似たような雰囲気、テイストの映画は正直ぱっと思い浮かばない。私が知らないだけかもしれないけど。
グー・シャオガン監督の作品は初めて観たんですけど、非常に稀有で独特な個性と世界観はちょっとクセになるかもしれない。
何年かに一度あるかないかの、「なんだかすごい映画に出会ってしまった!」というざわざわ感が半端なかったです。
多くの人におすすめできるようなタイプの映画ではないけども、私はこの映画好きです。
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