つくり手との距離
January21, 2019
庭の金柑を蜜煮にしたもの、これは自然になった実を自分でもいできて、グラニュー糖のみを加えてつくる、まさに家庭の味、なのにぎゅっと濃縮された甘味と酸味、艶のあるオレンジ色が自慢のひと品だ。
わたしの金柑蜜煮は職人がつくるもの —— 美しい渦巻きの層の間から芳醇なバターが香るクロワッサンでも、こんがりとよく焼けたクラストを持つ、旨味のある田舎パンでも —— とコラボする。そういう、ちょっとしたことが日々の台所仕事を楽しくする。
食べるときには、庭のことを思う。思うことができる。パン職人が小麦畑を思うみたいに。それが市販品より親しみを持てるところだ。
わたしが興味を持つ職人は、なぜその素材を選ぶか、その素材をつくったのはどんなひとであるかを、説明してくれる。そこに、それぞれの物語がある。そんな話を聞くのが好きだ。つくり手との距離がぐんと近くなり、よりおいしく味わえて、価格の理由を知るのも気持ちがいい。けれど、記事にする必要でもなければ、いつもは聞かなくてもいい。子供が母親の料理を食べるときのように、無心に味わう。
わたしはよく、つくり手との距離のことを思う。一番近いのが親子ならば、遠くて顔が見えないのは大量生産されたもの。袋に入っていて、袋に貼られたシールに原材料情報が書かれているパンは、つくり手がそこにいないので、代わりに説明してくれているのだ。遠さはちょっと味気ない。でも、知れば少し近くなる。日々のパンの、つくり手がどんなひとなのか、できれば知っていたいと思う。
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