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すべき思考
自分のなかにある、〜しなければならないという思考についてです。
以前の私はこの”すべき思考”に支配されていました。
誰かがそうしろと言ったわけではない、
自分が勝手に決めつけた”すべき”です。
例えば、車を駐車する時
私は駐車がそれほど得意ではないのですが、駐車する時に、必ず枠内に真っ直ぐ停めるべき、というすべき思考に囚われていました。
それがすぐ出来ないと、自己嫌悪かつ、同乗している相手も待たせていることになるため、申し訳ないと感じる。
ただ、相手はゆっくり停めてくれていいと思っているし、必ずしも真っ直ぐ停めなければいけないとは1ミリも思っていないのです。
自分がそう決めつけているのです。
もう1つの例は食事作りです。
夜ごはんを用意する時、旦那に必ず温かい状態のものを出すべき、というすべき思考に囚われてました。
旦那は、自宅から片道1時間かかる会社に通勤しており、帰りも遅いです。
そのため、先に自分のごはんを済ませておくことが多かったのですが、そのすべき思考に支配されていたため、その日のメイン料理は自分は食べず、旦那が帰るタイミングに合わせて作る、という状態でした。
こうなると、そもそも自分はその料理を食べないので必然的に質素な食事になり、
また、洗い物も旦那のごはんが終わってからすることになるため、その後のお風呂、就寝も遅くなってしまう。
本来の自分の気持ちとしては、先に洗い物は全て済ませておきたい、自分もメイン料理を食べたい、です。
しかし、すべき思考に囚われていたため、全てが旦那基準になってしまっていました。
決して、旦那がそうしろと言ったわけではありません。
亭主関白な旦那でもないですし、そもそもあまり食に興味がない人なので、温かろうが冷たかろうがあまり気にしません笑
なのにも関わらず、自分のすべき思考に支配され、生きづらくなっていました。
このような例が、日常から取り上げるといくつもあります。
他人軸から自分軸に変わり、自分の意思を大切にするようになったことで、このすべき思考から脱却することが出来ました。
まず駐車の例から言うと、例え斜めに駐車したとしても、枠内に入ってればいい、共用スペースであれば他人に迷惑をかけない停め方が出来れば良い、と考えるようなりました。
晩ごはんの例では、自分のごはんのタイミングで全ての料理を作ってしまい、旦那が帰ってきた時にはそれをレンチンして出す。
自分も全ての料理を食べることができる。
フライパンも使い終わり、洗い物も旦那が帰ってくる頃には終わっているので、楽ちんです。
今は旦那のお弁当も作っているので、逆に最初に料理を作ってしまった方が、冷めるからお弁当に詰めやすい!というプラス思考も出来るようになりました。
誰に指示されたわけではない、すべき思考に囚われていた私。
とても生きづらかったなぁと感じます。
同じように悩んでいる方、少しの発想の転換で変われます。
すぐに変化することは難しいですが、少しずつすべき思考から脱却してみませんか?