大学時代のサークルの後輩・Aちゃんと岐阜の多治見へ行った。 Aちゃんとは会ったら話すが元々二人で遊ぶほどの仲ではなかったが、今年4月に一年ぶりに再会した際に多治見というタイルの街があることを教えてくれ、ノリで秋ごろの三連休で行こうとなり、ついにその時が来た。 約束した時から半年くらい経っていたから、本当に行けると思っていなくて嬉しかった。 名古屋駅で待ち合わせをし、そこから普通列車で40分ほど。多治見という場所は未知で、近づくにつれ渓谷のような景色になっていき不安とドキドキ
部長 めちゃめちゃ優しい。周りの人のために動くのが好きな人。ハマるジョークとハマらないジョークの観点だけはズレており、扱いが若干難しい。でも優しい。 教育係 陰モードと陽モードの差が激しい。極度に人を警戒することもあれば、知らない人にいきなり話しかけたりする。知り合いが知り合いを呼び70人規模のBBQなどに行っている。公園にいた外国人に声をかけバドミントンサークルへ誘ったりしている。なぜか、私と悪口の観点が似ている。親2くらいまじでありがとうございます。 お局 トラブルが
遠い知り合いや芸能人に訃報があった時、まだ若かったのに、信じられないなどの言葉がかけられ、自身もそう思う。 けど、もし自分が死んだら、まさかのそのような声をかけられる側になるとは思わないし、というか思うこともできてないないかもしれない。でも、あんまり良い気はしなさそう。 ずっと寝てたい〜ずっとゴロゴロしてたい〜と思うけど、起き上がることができるから思うことだとふと思う。 身体を自由に動かせない人からすると、とても憎ましいことだと思う。 ぼーっとしてた人が、よく、脳死で○○
⚫️土曜 私的一大イベント、オウガとカネコアヤノのライブへ。 と、その前にツレと合流してライブまで日本橋あたりをうろうろ。 アラビヤコーヒーのたまごサンドがめちゃめちゃ美味しかった。道具屋筋もおもしろすぎる。 なんだかたくさん話せることが嬉しかった。 ツレと別れ、ひとりで味園ユニバースへ。宇宙船🪐 今回のカネコはエメラルド、腕の中でしか眠れない猫のようにがずしんときたのを覚えている。二ヶ月連続でみることができて、これほどに幸せなことがあるか。間違いなく糧。 オウガは久しぶり。
今日の仕事は特にトラブルもなく。 金曜有休だったため溜まっていた資料を処理し、小遣い稼ぎと思いながら少々残業。 残業と言っても帰りはそれほど遅くはならず、とある平日。 昨日自分が作った塩麹に漬けた鶏肉が美味しすぎて、今日は帰ってそれを食べることだけを考えていた。 あと、今日の頭の中では挫•人間の夏•天使が流れていた。 昨年夏の飲み会の居酒屋で流れていたことを思い出す。 さて、早く晩飯、風呂を済ませて今日はスマホを置き、本を読んでギターを弾いて有意義に過ごそうか。 そんな心
土曜日は久しぶりに地元へ。 降り立つと、すぐさま圧倒的な高齢者率、チャリ通の学生に安心を覚えた。 もうわしゃ高い建物なんざ、スーツなんざ見たくない。 それから、高校からの友達と美術館へ行った。 お互い今は地元と離れて暮らしていて、同じ空間で毎日を過ごしていた時は遠い日の記憶のような、つい最近のような。 最近仲の良い友達と会うと、健康や金の話ばかりしている。 夕方には祖母の家へ帰宅。圧倒的に落ち着く。 野菜がたくさん出てくる。シチューがとても美味しかった。 夜は、祖母が寝な
社会人になってから、体調を気にするようになった。 歳を重ねるにつれて、周囲の病気、死を経験するようになったからだ。 段差に気をつけると、転倒を防ぐことができる。 でも、どんなに運動や食に拘り身体に気をつけている人でも重い病気になることはある。 父が病気になった時、祖母は「よく酒を飲んでいたからだ」と言った。父はそれ以外に生活習慣も整っていたし喫煙もなかったし、それが要因の一つだったとしても防ぎようがなかったと思う。 私も一人暮らしながら、限られた野菜をできるだけ食べるよ
数ヶ月前から、人生初めての一人暮らしを始めた、初めての引っ越しをした 社会人になって、毎日繰り返し生まれた時からいる場所に帰るのが憂鬱になったり、長い通勤電車で色々考えてしまって涙が出てきたり。家に帰るとギクシャクした関係の親が(それでも)家事を全部してくれていて、でも感謝を伝えきれない自分がとんでもなく情けなくなったり。(今は解決しつつある) そんなこんなで数ヶ月経ち、一人暮らしにも慣れてきた。 今は自分の力で生活を紡ぐということが楽しくて仕方ない。(今のうちかな)
ツレの父が創作活動をしていて、なんとなく名前を検索してみた。 すると、過去のブログがでてきた。 ツレの父の何気ない毎日や、ツレの成長が綴ってあった。公開されているものとはいえ、背徳感に苛まれながらも少し読んだ。 会ったこともない人の日々をみるのは面白かった。 もし、いつか、またはある日突然自分がいなくなったとき、記録があるのは良いなと思った。 私は親にここ数年間の自分を知ってもらえてないから、記しておいたほうが良いんじゃないかなと思った。私より長生きしてもらわなければならな
恋人よあなたのことを愛さない日はない 明日も百年後も好きだよ 母さんあなたの輝きを僕は忘れないよ 父さんあなたの悲しみを僕は知りたいのです 友よただ君のための僕で在りたかったんだ 君のように美しく在りたかったんだ andymori/Peace
時は早々と流れ、社会人になってしまった。 今、大変なこともあるし自分の道が正解かわからないけれど、幸せと思う時が多くなった。 私は何にしても素直になれなくて、悔しい。 今、もし死んでしまったら心のうちを誰にも伝えられず、無念でしかないと思う。 いつか素直になれるだろうか。素直になるの、簡単そうなのに。難しい。 親 私は嫌いなんか思ってない。本当にごめんなさい。毎日、ご飯が美味しくて色々思い出して泣きそうになるよ。楽しくお喋りしてた頃に戻りたい。いっぱいくれたのに、私は何
自分の存在価値を見失っている。 わざわざ自分に対して存在価値を探している時点でもう。 数分話しただけの相手に薄っぺらく祈られて、見放される。 22年生きた私が少しの文と数分で判断されて、否定される。何回も。 客観視すると、「それは貴方に問題がある」「貴方が十分でないから」と思われるかもしれない。 私は、今まで自分なりに真っ直ぐ生きてきたつもりだし、道に落ちてるものは必ず拾うし、困っている人に手を差し伸べることができるし、人を馬鹿にしたりしないし、必ず立ち止まって相手の
地に足つけよ🦶
7月に、祖父が亡くなってから私は死についてばかり考えている。 いつも笑顔だったおじいちゃん、大好きだったおじいちゃん、何故目を閉じて動かないとか分からなかった。明日になればおはよう、と起きる気がした。気持ちよさそうに眠っていた。 火葬の際、一旦葬儀場に戻り親族で昼食を食べる時間の時、何故みんな食事に喉が通るのか分からなかった。 みんなが大好きなおじいちゃんが炎に包まれているというのに。 しかし、お骨をあげるときに初めてもうこの世にいないことを実感した。 ↑元気がない私に同じ