運命論
社会人になってから、体調を気にするようになった。
歳を重ねるにつれて、周囲の病気、死を経験するようになったからだ。
段差に気をつけると、転倒を防ぐことができる。
でも、どんなに運動や食に拘り身体に気をつけている人でも重い病気になることはある。
父が病気になった時、祖母は「よく酒を飲んでいたからだ」と言った。父はそれ以外に生活習慣も整っていたし喫煙もなかったし、それが要因の一つだったとしても防ぎようがなかったと思う。
私も一人暮らしながら、限られた野菜をできるだけ食べるようにしていても、いつ何の病気になるかなんてわからない。(よくお腹が痛くなるし、ピルは合ってくれない。)
病気に限った話をしていたが、数秒後にでっかい地震がきて世界がなくなるかもしれないし、上から何かが落ちてくるかもしれない。
毎日起きる交通事故のニュースもどこか現実味がなくみている気がするけど、いつ自分が当事者になるかなんてわからない。
そんなことは考えただけでヒヤッとする。死にたくないし痛くて苦しいのは嫌、恐ろしい。
自分の最期はもう決まっているのではないか。
今から寝て、明日目覚める保証はない。
そう考えていると、羊文学の花びらの「あいたい〜明日は〜もう来ないかもしれない〜」が過ぎる。
でも、その後にカネコアヤノのエメラルドの「考えてみても〜仕方がないことばかりだね〜」が過ぎる。
いくら考えても自分も周りも近くか遠く未来に最期が訪れるわけだが、わかっているつもりでも私は最後まで悔いのない生きよう!というマインドをすぐに忘れてしまう。
今からプチ喧嘩をした恋人にぶっきらぼうでない良いおやすみを伝えて、週末は祖母に電話をかけようと思う。