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安心⇔寂
土曜日は久しぶりに地元へ。
降り立つと、すぐさま圧倒的な高齢者率、チャリ通の学生に安心を覚えた。
もうわしゃ高い建物なんざ、スーツなんざ見たくない。
それから、高校からの友達と美術館へ行った。
お互い今は地元と離れて暮らしていて、同じ空間で毎日を過ごしていた時は遠い日の記憶のような、つい最近のような。
最近仲の良い友達と会うと、健康や金の話ばかりしている。
夕方には祖母の家へ帰宅。圧倒的に落ち着く。
野菜がたくさん出てくる。シチューがとても美味しかった。
夜は、祖母が寝ながら聴いているラジオが大きすぎて寝られなかった。古いラジカセから流れるAMラジオ(おそらくNHK)は、現代の音声とは思えない。
翌日帰り際、昔買ったというネックレスと指輪をくれた。純粋に大人になったから、もう使わないからくれたのかもしれないけど、どこか虚しくなった。
あと、庭で育てた特大きゅうりを持たせてくれた。
そして家に帰ると、意味がわからないくらいの寂しさと不安に襲われた。
きっと土曜日にいつにない安心感を味わいすぎたのかもしれない。
満たされた土曜日の次の日、一週間のはじまりを待つことはとてもつらい。
けれど、なんやかんやで月曜日を乗り切った。
しかも、地元が少し遠い存在となり、また来るよ...と浸って帰ったにもかかわらず、祖母宅に忘れ物をしてしまい退社後長く電車に揺られ、用を済ませとんぼ返り。
母が作ったごぼうの煮物を持たせてくれた。美味しかった。
何も遠く感じる必要なんてないですね。
さて、明日からまた働きます。