<読書感想>『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』第一章「コミュニケーションとマニピュレーション」を拝読して
三木那由他さん著『会話を哲学する コミュニケーションとマニピュレーション』(光文社新書)
第一章「コミュニケーションとマニピュレーション」を拝読して
「会話を哲学する」ことの「入り口」に立ちました。
会話の要素を自分なりに落とし込み、ひとつひとつ分解して言葉にしていくことで、私も会話を“哲学”してみようと思います。
第一章では、会話は思考・意思を示すこと、そして互いに反応するという「前提」のもとに成り立っているということを確認していきました。
作者の方が仰っている会話における「約束事」とは、思考・意思を示し、認識を共有することで会話を成立させていくことだと感じました。「約束事」という表現が、非常に興味深いです。
認識を受け入れることで会話はひとつの方向に進んでいくと思いますが、片方が認識を受け入れず新たに意思を表示(共有)した場合はまた違う方向へ進む会話になるのだと思います。
もし相手の認識を受け入れた場合は、作者の方が仰っている「以後の会話ではこの約束事が効力を発揮する」ということになりそうです。
ただ、会話の方向が何度変わったとしても常に相手の言葉に対して「反応する」という「前提」が必要なこと、そして言葉で必ずしも本当を語っていなくても成り立つことが会話の妙だと思いました。
そう考えると、よく聞く「会話のキャッチボール」という言葉も、上手く会話について捉えている言葉だと感じます。(やはりボールは反応しないと取ることはできず、ボールの方向は変わっても多くの場合ボールに噓も本当もないため)
会話はしばしば方向が変わっていくものだと思っていて、それはそれで間違いではないと思うのですが、互いの色(思考)を交互に交ぜながら最終的には会話の方向を見定めていく、もしくは敢えて方向を見定めずに会話を着地させていくところにも会話のあたたかさがあるなと思いながら読み進めています。
普段なるべく使わないように意識している言葉の中に「でも」があるのですが、「でも」はマイナスの意味で3D(でも・だって・どうせ)と表現されることがあるようで、そのことを知ってからさらに「でも」を使わないように意識したのだと思います。
本書の中で「でも」と発言することに対して言及されていたので、思い出しました。「でも」と発言することで相手が思っていることに反対しようとしていることがわかると記されていて、「でも」に対する印象が少し変わりました。反対というとマイナスなイメージが浮かぶかなと思ったのですが、今回私は普段と異なる受け止め方をしています。
「でも」について今回感じたことは、「でも」と言うときは相手の言葉を受けて咀嚼した上で「でも」と言っていると思うので、「でも」はしっかり相手の言葉を受け止めているが故に出てくる言葉なのだというプラスのイメージが湧いてきました。
後半では「コミュニケーション」と「マニピュレーション」について言及されていますが、私は以下のように咀嚼しています。
・コミュニケーション
→会話の言葉通りの影響のこと
・マニピュレーション
→会話を通して、結果的に相手にコミュニケーションとは異なる影響を与えること(マニピュレーションは挟まない場合もある)
両者は区別されるものではないという視点も提示してくださっているので、コミュニケーションをいくつかの箱で分けているような感覚になりました。
そして気づいたことは、まず最初にコミュニケーションが成り立たななければなかなかマニピュレーションは成立しないということです。
本書の中で小説『勝手にふるえてろ』(綿谷りささん)の会話を取り上げてコミュニケーションとマニピュレーションについて言及されていました。
『勝手にふるえてろ』では、伝えたいことを上手く伝えられない(そのまま解釈できる言葉を使うことが少ない)主人公「ヨシカ」と、伝えたいことを伝えられるが、意図している通りにはならないキャラクター「二」の会話を読むことができるのだと思います。
本書で取り上げられている『勝手にふるえてろ』の内容から解釈すると、
主人公「ヨシカ」はコミュニケーション(言葉通り)よりも先にマニピュレーション(意図)しようとしている人だと思いました。
また、主人公「ヨシカ」に思いを寄せるキャラクター「二」は、コミュニケーション(言葉通り)はできても、その先のマニピュレーション(意図)が上手くいかない人なのだと思いました。
総じてふたりとも不器用さが窺えます。
ちなみに『勝手にふるえてろ』はまだ読んでいません……。
絶対拝読して『勝手にふるえてろ』の会話についても考えたいです。
会話について本格的に哲学する機会はなかなかないのですが、会話をもっと大切にしたいです。
会話は必ずしも伝わるとは限らない繊細なものですが、何かを伝えようとしている、示していることには変わりなくて……。伝わらなかった場合は不器用、素直じゃない、下手などになるのかもしれないですが、会話をする努力をしようと思います。
会話をしているときほど気づかないうちに会話を諦めているかもしれない怖さにも気づいたので、会話をするときは何度でも相手の言葉を聴きたいと強く思いました。
自分、そして相手のコミュニケーションとマニピュレーションについて考えます。
様々なかたちで意思を示して、「会話」が蓄積していくことで文脈が読み取れるようになるという過程は尊いものだということを念頭に置いて