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音楽と恋、そしてリタ・ミツコの秋

音楽や映画、小説、こういった文化的な趣味は、恋愛においても驚くほど強力なトリガーになりますよね。誰しも、「これが共通していたら無双じゃん!」と幻想を抱いてしまう瞬間があるはず。でも、冷静に考えればそれはただの錯覚。わかっていても、その錯覚に飲み込まれてしまうものです。

もちろん、こういった趣味を持つ人は多い。でも、表面的な共通点を越えて、深いところまで共感できる相手となると、ぐっと数は減ります。お互いが好きなものの方向性や理解度だって微妙に違うし、自分なりの知識で会話がしたかっただけなのに、なんだか相手にマウントを取られた気がして嫌な思いをすることも。だからこそ、ふとした会話や服装のセンス、使っている言葉から「この人、同じかも?」と感じた瞬間の胸の高鳴りと心の中で小躍りする感じは特別なものに見えてしまうんです。そして、それが恋愛に発展してしまうと、錯覚は倍速で進みます。ここからが厄介なんです。

それまで「まあ普通かな」とか「特に好みじゃないけど」と思っていた相手が、急に後光を背負って現れるんです。そして、まるで一瞬にして、「ファムファタール」な存在に昇華してしまう。映画の中のモニカ・ベルッチやニコール・キッドマンのように。まるで運命の相手を見つけたかのような自分も運命の相手になったかのような感覚。でも、よく考えれば、そもそも私は運命なんて信じてないじゃないか、と冷静な自分が顔を出すわけです。

あれは、24歳、秋の始まりでした。職場の先輩に紹介されたおしゃれな隠れ家的美容室で、私はそんな「ファムファタール現象(自称)」を体験しました。そこでは、背が高くて風変わりな格好をした少し年上の彼が担当してくれていました。初めて髪を切ってもらったときは、特に印象に残ることは何もありませんでした。でも、ある日、帰り際に私が着ていた70年代のカルト的なバンドTシャツに彼が反応してきたんです。「それ、いいですね!」と不意に言われた瞬間、急に景色が色を変えたような感覚がありました。「僕も音楽好きなんですけど、このバンドは知らなかった!聴いてみますね」と言われて、そこから少しずつ会話が弾むようになりました。

次に美容室を訪れたとき、彼が開口一番「前に教えてもらった音楽、めっちゃ良かったです!ところで、レ・リタ・ミツコって知ってますか?あのバンドとコラボしたことがあるんですよ」と、今まで一度も見たことないような笑顔で言ってきました。その瞬間、「あ、これはきたな」と思いました。私は「知ってますよ」とか「知らないけど教えてください」とか何とか言って妙に乗っかっちゃって、会話が盛り上がりました。彼のお勧めで聴いてみたレ・リタ・ミツコの独特の雰囲気に、私はすっかりハマってしまう…事までは正直無かったのですが、嬉しそうに話してくれた彼の存在には少しずつハマっていきました。

それから、美容室に通うたびに、取ってつけたようなカルチャー談義だけじゃなく、何気ない日常の雑談さえ楽しくなっていました。今振り返ると、あの頃の私たち、何だか同じど田舎の地元出身なのにカッコつけてて、青臭くてダサくてちょっと痛々しいところもあったけど、確かに何かが盛り上がっていたんです。まるで二人だけの秘密の共通言語を持っているような感覚でした。

そのうち、彼の行動や視線の奥からひょっとしたら、私に「ファムファタールフィルター」がかかっているんじゃないかと感じ始めました。多分、私ちょっと特別な女の子扱い受けてるぞ、て。恋愛において勘違いばかりかましてきた私にもこれはそうじゃ無い事がわかる。気がつけば、私たちは薄っすらとした恋愛モードに突入していました。共通言語って、危険ですよね。お互いを理想化してしまう。現実は全然知らないはずなのに、なぜか恋愛が成立しちゃうんです。

それから、彼が私の生活圏に「たまたま」現れることも続きました。偶然にしては、あまりにもタイミングが良すぎる。会うたびに「今休憩中ですか?ちょっとお茶でも」と何か言いたげな顔をする。でも、私は私で外で会うと恥ずかしくて、「これから仕事に戻るんです!」とその場を去ってしまう。ある時は私が働いていたお店に来てくれて、顔を真っ赤にしながらお買い物をしてくれた時もあったのに、一向に何も進展しない。そんな大の大人がお互い何をやってるんだ、みたいな、多分側から見ていたらイライラやきもきする日々が続いていたある日、小さな事件が起きました。

真夏の暑い昼下がり、休みの日に地元の海で友達と遊んでいると、職場の先輩からLINEが。「美容師の彼、愛Cを待って店の近くをぐるぐるしてるよ!もう4時間くらいだよ。何してるんですか?って聞いたら愛Cさん今日は居ないんですか?って言ってた」と。え?この猛暑の中?驚きつつも、それを聞いた一瞬はすごく嬉しかった。先輩が「何か伝えましょうか?」と聞くと、「直接伝えるので良いです!」と言っていたそう。でもなんだか時間が経つにつれ4時間。4時間!?おい、、4時間!?…35度の中4時間?もしかしてこの人実はストーカー気質のやばい人なの?とか色んな思いが交錯して一気に複雑な気分になりました。

その後も彼と一度だけ「偶然」会いましたが、お互い何だか気まずくて。私は次に会った時に、この前の「張り込み事件」のことは一旦茶化し笑い話にした上で伝えたいことが何か聞いてみようと思ってたのに、なんだかバツの悪そうな彼の顔を見ると何も聞けずに、ついには「あっ…」と真顔で会釈してすれ違っただけで何も話しかけられませんでした。それ以来、彼とは一度も会う事が無くなりました。

もし私が「誘う女」になって、彼をお茶に誘っていたら、あるいは橋の上で会ったときに、近くのローソンでハイボールを買って川辺で一緒に飲んでいたら、彼の本当の姿を知ることができたのかもしれない。でも、今となっては、彼の行動の真意はわかりません。

もしかしたら、ここまでツラツラと自称ファムファタールまで語った全てが、自意識過剰な私の勘違いで、彼は「愛Cちゃん、、実は僕霊感強くてね、あの、、その、肩にずっと見えてたんだよね、だから伝えなくちゃと思って」なんてことを言いたかったのかもしれない。それを考えると、笑っちゃいますけど。(笑)

後日、職場の先輩に「え〜!2人付き合わなかったんだね?あんなに一途そうだし、かっこ良いし気が合いそうだからとりあえず付き合えばよかったのに」とからかわれました。さらに、「実は昔、夜中に彼が美容室の同僚の女の子と親密そうに歩いているのを見たことがあるんだよね。もしかして元カノが同じ店にいたから、誘いにくかったんじゃない?」なんて言われて、ますますよくわからなくなりました。

10年後の私が今、何か伝える事が出来るのなら。あの時の青臭い自分に刺さりそうな、かっこつけた意味不明な表現でこんな事を言いたい。
「ねえ、その微妙で奇妙で、気持ち悪くてどうしようもない衝動にちょっとだけ向き合ってみなよ」って。(いやかっこいい事言ってる風で意味わからん。)

秋が来て、リタ・ミツコのレコードを引っ張り出すと、ついそんなことを思い返します。そして、いつの間にか東京に居着いて、すっかり通ることも無くなったあの日の橋から見えた、中洲の曇り空の夜景が、少し懐かしく、少し切なく蘇ってくるのです。

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