読書記録『イスラム教再考』
以前読んだ『イスラム2.0』と同じ著者であるイスラム研究家の飯山陽女史の『イスラム教再考』を読んだので、感想を書く。
感想というよりサマリーに近いものになるかもしれない。
イスラム教に対する誤った認識/正しい認識
この本の趣旨は、イスラム教について誤っている認識が広まっており、それを正すというものになる。
イスラム研究家と呼ばれる人やメディアから「イスラム教は平和な宗教である」(第二章)、「イスラム教は異教徒に寛容である」(第三章)、「イスラム過激派のテロの原因は社会にある」(第四章)、「殆どのイスラム教徒は穏健派である」(第六章)、といった言説が発せられているが、実際はそうではないというものだ。
例えば、イスラム教はその教義によって、信教の自由・表現の自由などの自由が存在せず、人権や男女平等といった概念も教義に組み込まれていない。これは欧米式の法治国家で認められている近代的価値とは相容れない。それが良い/悪いという次元ではなく、まず全く違うものであるという認識を持たなくてはならない。
また、異教徒を征服し、世界をイスラム化せよとするジハードを教義に持っている。これは当然非イスラムからしてみれば脅威であり、イスラム教は平和な宗教ではないし、異教徒に寛容でもないということになる。
イスラム研究家やメディアによって覆い隠されているこれらの事実を科学的・統計的に説明している。
「イスラム教」と「イスラム教徒」と「イスラム国家」
ただし、この本からは「イスラム教」と「イスラム教徒」と「イスラム国家」を混同してはいけないというメッセージも読み取れる。
イスラム教は近代的価値観とは相容れないものである。例えば、異教徒を征服し、世界をイスラム化せよという教義をもっている。
そして当然それを信奉しているイスラム教徒は、イスラム教の教義を正しいものとして信じる。実際にその通りに行動するかどうかは別だが、統計上は多くの人がそう考えている。
しかしイスラム国家では、イスラム教の教義から近代的価値観に接近する動きもみられている。女性や異教徒の人権を擁護する法律を制定している国もあるし、イスラエルとの国交正常化のようにユダヤ教徒との融和が図られている。国家当局としては、国際政治は対立だけでは成り立たないと分かっているのだろう。
イスラム教とポリコレの奇妙な融合
何故イスラム教に対する誤った言説を広めている人がいるのかは置いておくが、この本で言うイスラム教に対する正しい認識というのは「イスラムは危険」や「イスラムは怖い」という思考を想起させる。それは多様性と心中しようとしているポリコレにとっては許されない。そのため、筆者は根拠のない誹謗中傷を受けているが、それに対する反論も書かれてある(第八章)。
そもそもイスラム教が多様性を尊重していないのに、ポリコレがイスラム教を多様性として尊重するのは奇妙だが、これによってイスラム教は勢力を伸ばせるし、ポリコレは道徳的に優位に立てる。お互いに利益があってやっていることになる。
BLM運動のように、ある属性に対してvictimhood cultureに基づく優遇が図られると、その他の属性を持つ人が不当に不利に扱われることになる。イスラム教に対してもこれが起きているのが事実であり、それは社会的にはただしいことであっても、絶対的な正義ではない。現実主義的な観点から事実を正しく認識する一助になる本である。