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山道通学路と野イチゴの記憶

小学生の頃、1時間かけて山道を歩き、学校まで通っていた。

同じ地区に住んでいる1年生〜6年生までの子供が朝に集合し、列になって学校まで一緒に通学するのだ。


あれは非常に大変だった記憶がある。


道路は舗装されていたけど、子供たちだけで山道を1時間かけて歩くのだ。


今考えると、非常にキケンな通学路だったように思う。実際、クマが出没したときもあったし。

そして、冬になると山が雪で覆われてしまうため、冬の期間だけバス通学になったのも覚えている。

よく6年間、あんな山道を歩いて通学したものだなあと、今となっては思う。

かなり足腰は鍛えられたんじゃなかろうか。・・かといって、足が早いわけではなかったけど。


そのおかげかどうかは知らないが、今まで骨折は一度もしたことは無いし、足腰の大きな怪我をしたことも無い。

山道には、↓こんな感じの野イチゴ?みたいなものが実っており、友達とよく食べていた。

野イチゴ、甘かったな

通学時はみんなで学校に向かうけど、当然、帰宅時は、一人で山道を歩いて帰るときも多くあった。


たまーに、同じ地区に住んでいる方が車で通り過ぎるとき、乗せていってくれるときもあったけど。

今考えると、危なすぎる。

たかだか10歳未満の子供が、一人で山道を歩いているのだ。確かに地域はド田舎だったし、物騒な事件も無かったけれど、、それでも、危ないよなーと思う。

こうして振り返ったとき、「危ない」と感じるのも、世の中の状況が変化してきたからだろうか。

一人で公園で遊ぶのもキケン。
川遊びもキケン。


子供の頃にのびのびと外で遊ぶことがあまりできない、というのも、かなり窮屈なことだなと感じる。


家の中でゲームで遊ぶのも、もちろん楽しい。僕も好きだし。というか、今は基本的に家にいたい派だし。

ただ、やはり「家に籠もる」よりも、「外の空気に触れる」ことは、心身の健康を保つためにも大切な要素に感じる。特に子供の時期は。


当然だけど、「内に籠もる」というのは、良い面もあれば、悪い面もあるのだ。


「籠もる」ことで外部から身を守ることにもなるが、同時に、外からの刺激を遮断し、衰退が加速してしまうことにもなる。


一箇所に留まる、というのは、「濁る」ことに繋がるからだ。


もちろん、外に出るというのは多少なりとも「キケン」は伴う。かといって、キケンを避けるために、

内に籠もり、留まり、濁り、「腐って」しまってからでは、手遅れになってしまうのだ。


内側を大事にするのも確かに大切。

だけど、それと同じくらい、外に出て、多少キケンな場面があろうとも、外部の刺激に慣れることで、心身ともに成長できるのだと思う。


・・・今日は植物に関する本を読み、ふと小学校の頃の山道通学路を思い出したので、記憶をもとにnoteを書いてみた。

余談だが、今の小学生って何をして遊んでるのだろう?シンプルに気になる。

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