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月曜まで、まっさかさまに

 ここ何日かのこと。

 あいかわらず、空に月がうかんでいない。

 あれから、とは、あの映画をみてから、あの小説をよみはじめてから、だった__、月が雲隠れしてしまったのだろうか。

 それとも、わたしが空を避けているのだろうか。

 月にも、でていたくないこともあるだろう。雲も、なにかを隠したいときもあるだろう。

 空も、見上げられるのに飽き飽きして、消えてしまいたいこともあるだろうか。

 だから、無責任に空を眺めると言うことも、罪の一つなのかもしれない。

 ここ数日、ずっと考え続けていたこと。

 職場の、病棟へ続く鉄のドア越しから、叫び声が聞こえる。語弊は恐れない。獣のようだとも言える。
 なにかを訴えて、その人なりの表現だ。わたしは、「こんにちわ」と声をかける。
 信じたい。信じる。勝手に、信じたいとおもい、その人を尊重したいとおもう。危害を加える可能性のあるひとは、自由にならないから、そうではない人が、自由に歩き回っている。
 それでも、限られた範囲での自由。安全を守るための自由。
 綺麗事だろう。わたしの考えの中で、それをならしたい。土をならすみたいに。グラウンドをならすみたいに。外壁を塗る、ペンキを均一にするみたいに。
 叫びとは。一見、叫びは、苦しみとたとえられることが多いけれど、その叫びとは、果たしてたんなる苦しみだけなのだろうか?

 違う。違うかもしれない。職場は精神科。知的障害の人たちも多く入院されて、日常を送っている。

 わたしの想像力が、いちいち、日常的にたどり着いてしまう。それは苦しい。苦しいから、いちいち悩んでしまう。

 叫びが喜び、であってもおかしくはない。

 誰しも、他人を理解することはできない。

 そこに、暖かい想像力や、行動力があれば、なにが今の自分とは違う、新しい何かを探そうという探求心につながるのではないだろうか。

 今週は、職場の人事と異動などに関する話で、もりだくさんだった。

 映画を見てから、小説を読みはじめてから、かりそめの力を得たようで、わたしの精神は見せかけの昂揚。言葉が怒濤のように押し寄せ、自分の人生に思いを巡らせるきっかけになっていった。

 

 金曜日は、そばデイ。今日は、絶対食べようと思っていた、「納豆蕎麦にイカ天のせ」をごちそうになる。 蕎麦。蕎麦。蕎麦のある金曜日と、ない金曜日の幸せの度合いたる。

でも蕎麦も、もう今月でおしまいの予感。 

 職場の雰囲気が伏魔殿のようになりつつある。 一部の不当な管理者の権力により、毒液をふくんだ糸が各所に張り巡らされていたようだった。すべて了解済みだったわけだ。
 のうのうとにやけ面を垂れ下げて、訳知りがおでバインダーなぞ持ち歩きそぞろ歩きするのを見ていると、唾をはきたくなる。
 自分が戦うのは、暴言であったり暴力であったりしてはいけない。けれど。

 わたしは、知らなかったのだ。無邪気に、なにか、明るいものを信じていたのだ。なんという周到のなさ。信じるものは、時々莫迦をみるのだった。

 だから、というわけではないけど、ここで働いていいのだろうか。と思う。わたしは、もうすこし、生をまっとうしているすべての営みを、信じたいなと思う。

 そのために、なにができるのか。

 小説を書くこと、それだけじゃ満足できないのではないだろうか。

 それは、嫌いな人も好きな人も、たくさん働く場所でいるけれど、十年以上働いてきて、本当に楽しかったな、ともう去る気持ちでここにかく。

 とれる資格があれば、これからとりたいな、なんて仕事中に調べていた。

 はなしはかわり、職場のとある医師より、薩摩琵琶の演奏会のチラシと招待券をいただいたものを、同僚からもらう。

 実は、今朝、家族のテスト前の勉強につきあって、「平家物語」の話をしていたところだった。

 わたしが『平家物語を書いたのはだれでしょうか?  ベベンベン』と琵琶をひく真似をしたのだ。

 また、偶然が重なり、少し怖くなる。

 これは、エックスファイル的な能力なのかな。

 偶然とはいえないことが、時々起きるから、怖くなったりする。家族に話したら、怯えた。

帰宅して合流する。
 テストのお疲れと称して、お金もないのに、マクドナルドを一人人バーガーかってあげると、家族が嬉しそうにほおばって、札幌はとても寒い、風雨、秋が冬に飲み込まれていく。

 大きいものに、灰色の小さな秋が、飲み込まれていく。秋が去るのは悲しい。雪の夜の地面は、明るく、秋の暗さを忘れさせるから。

食材など買い物して、帰宅する家族を迎えにいき、帰る。

 バリバラを三人でみる。インクルーシブ教育について。バリバラは興味のある情報ばかりなので、なんでこんな時間に(遅い)やるのと思う。もっと、みんなの目に触れる時間にやることできないの。

 なんで。多様性とかいって、見てくれのよいきれいな情報ばかりじゃん。食傷というわけではないだろう。多様性とは、眉目秀麗であることか。

 空爆の瓦礫をふむ子供の姿に挟まれる、『カルガモのひっこし』

 性加害・性被害の報道のあとに『美魔女コンテスト優勝者のモーニングルーティン』

 ああ。いったい、わたしは何も見てはいけないのだろうか。すべてが、断頭台にあがるべきか。 階段を、木製のきしみやすい階段の一歩一歩を。糾弾されるべきだろうか。よいも、わるいも。性善も性悪も。

 わたしもその一人であるだろうに。罪人。神の光にふれた力のあるもの以外は。

 ありふれたことだ。そんなん、毎日やん。毎日垂れ流しやん。ほんとそう。ショート動画も永遠フォーエバーやん。
 ネットフリックスや、アマプラ、フールー、ユーネクストで配信された映画や、アニメを見まくった時期があった。

 そんな素晴らしいもんみて、感動して、感極まって、よし明日から、わたしもがんばってやろうと思っていた。思わされていた。素晴らしいのだなにもかも。

 実際涙も流し、怒り、画面の中に怯えていた。 ああ、どうしたら生き物は、幸福になれるのだろう。ハルマゲドンを待ちわびるだけなのだろうか。

  

 『月』

 そろそろ、さとくんがやってくる。通販で買い揃えた、本来の用途ではない、光る鮮烈をそなえて。

 さとくんが、またぞろやってくる。

 ひとりのわかものだった、さとくん。

 ちっぽけな、一人の男。

 本を読み終えたら、わたしは小説を書こうと思う。わたしのやり方で。私の感じたままで。

 

 

 そして、土曜日。

 

 朝から、寝過ごし、九時頃起床。

 朝からご飯を炊き、昨日焼くはずだった、牛肉とズッキーニと、トマトを、甘辛く炒める。

 卵黄をトッピングにする。

 炊き立てご飯、実家の母の手作りの塩から、なめ茸、をおかずに。

 ご飯の火加減がすこしだめで、お焦げができる。

 ご飯が終わって、コーヒーを飲みながら、呪術廻戦の最新話を。

 

 描かれる殺戮と葛藤。

 

 わるいやつらは、しんでいいの。きたないようかいは、ころされていいの。じゅじゅつしは、ころされるべき。人型ののろいも、涙をながすの。

 いっそう、地均しされるべきなの。

 

 淘汰されるのが、善行なの?

 葬送のフリーレンとブルーピリオドとらんま1/2。
 家族の横で、さぼっていた家事を、これから始める。

 曇り空。

 今日も、小説のための一日でありますように。
 すべてがそうなりますように。

 あかねかわいいなー。

 

 

 

 

 

 

 






















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