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誰にも言えなかったこと、これまで感じたことを整理するノート。

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最近の記事

「家族」という幻想に苦悩した思春期

昔、私の家は共働きだった。 学校が終わって家に帰っても特にすることがなく、いつも同じ時間に同じ子供向け番組を見ていた。 夕焼けが窓から差し込む中、自分の周りの空間だけが現実とは違う場所にあるようで、なぜだか少し胸が苦しくなったのを覚えている。 内向的な子ども時代母親は仕事柄、比較的早く帰ってくることがあっても布団に入って寝る時間になってから帰ってくることも多く、なかなかに不安定な生活を送っていた。 そのため、その時期の母親への印象はリビングで横たわって気絶するように眠って

    • 不登校の連鎖

      兄弟が不登校児でも、頑張って学校に行っている人もいるだろう。 しかし、家庭内の環境が他の兄弟に与える少なくない影響を無視することはできるのだろうか? 家庭内不和私の家は、無関心な父親と過干渉気味な母親というこれまた典型的な不登校児家庭の要素を持っていた。 そして、私よりもずっと先に不登校になって部屋に籠もりきりの兄がいた。 家の中は、いつも見えない緊張感に包まれていた。 兄の存在を友達や周囲の人に相談できず、学校で兄弟の話題になったり兄と同学年の知り合いに会うと、何か

      • 不登校中の勉強

        親にはよく「勉強なんかできなくてもいい」と言われていたが、私にとってはなんの慰めにもならないどころか、「勉強すらできない自分は無価値」と言われているような気さえした。 それまでの成績 不登校でも勉強はした方がいい、というのはそう思うのだが、これがなかなかに難しかった。 それまでの私は提出物を出すのが遅れたりすることはまあまああったが、成績は悪くなく上位に入っている方だった。 追い詰められるとやる気を出すタイプだった。 だが、引きこもり中はとにかく体が怠く頭の中もぼやけて

        • 当時感じた学校の窮屈さ

          学校は何を学びに行く場所だろうか? 私は「勉強」と答えたが、親に聞いたところ「集団生活」であった。 友達がいなくなるまで 私は、受け身な性格なので自分から積極的に話しに行くことが難しかったが、たまに勇気を出して妙に近い距離感で話しかけに行くこともあった。 そもそも自分には何か熱中していることや好きなものが特にないため、話題の引き出しが少なく聞き手に回ることが多かったが。 仲の良いクラスメイトはなんとかできたが、クラス替えで疎遠になった。 他のクラスになった友達の教室に行

          元不登校児のつぶやき

          不登校だった時は、「なぜ学校に行かないの?」と親に問い詰められても、何となく行きたくないだのお腹が痛いだのと要領を得ないことばかりを言って誤魔化していた。朝、親とバトって必死に布団にしがみついて学校へ行くことに全力で抵抗していた。 不登校の始まり頃は、親と何度も激しい口論になって口を利かなくなったり、話す人が親以外いないので結局は話さざるを得なくなって会話したり、と日々が堂々巡りしていた。 そうしているうちに、親は諦めてだんだん何かに口を出すことはなくなっていったのだった。

          元不登校児のつぶやき