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第三十七話 豊年満作
もくじ 2,733 文字
小林が言っていた通り、楽々谷から三十分ほどで、山の麓に下りてきた。広々とした盆地の景色は、山の中を走っていたときよりも若干明るくなった。青い闇が支配する水田地帯の先に、車の明かりが提灯行列のように連なっている。人々の帰宅時間と重なってしまったらしい。市街地を迂回するバイパスだという道の流れは悪い。
交差点でその道に折れ、水色のトラス橋に進入した。三角形の鉄骨を通して、楽々谷からずっと並走してきた川が見える。山を下る過程でたくさん支流を集め、広大な玉石の川原を擁する大河川に変貌を遂げた。
「鮎釣りで人気のポイントは、このあたりと、もう少し上流に遡った所ですね」
小林が真一の視線に気づいて教えてくれた。小林によれば、楽々谷は鮎釣りの最上流ポイントに当たる。人気の釣り場は、それより下流、すでに渡った赤いアーチ橋から、この長いトラス橋にかけての間に集中しているらしい。ここまで走ってきた道を夏場辿れば、万緑の山並みの狭間に、菅笠をかぶった鮎釣り師の姿をたくさん見かけるという。銀色の清流に浸かって長竿を操る人影は、ある意味、日本の夏を象徴するだろう。小林は、いつかやってみたい釣りですね、と言った。真一も同感だ。炎天下、蝉時雨に身を打たせながら、魚との駆け引きを楽しむ――そんな光景を想像するだけで、胸がそわそわする。けれども、「いつか」 は、だいぶ先になってしまうだろう。鮎釣りの道具は、べらぼうに高い。若者や初心者にとっては、敷居が高いのだ。
橋を抜けると、窓の外に、火灯し頃の空の色を映し出す水田風景が広がった。田んぼは、一枚一枚メタリックなサーモンピンクに輝き、大きな鏡のよう。縦横に伸びた黒い畦が、碁盤の目を思わせる。もう少し早く訪れていたら、寒々と稲株が並ぶ冬田があっただけだったが、今はこうして水色豊かな景色に取って代わられた。
「ちょっとトイレに寄らせて下さい」
ルームミラー越しに小林が言った。フロントガラスに目をやると、歩道と車道を区切る菜の花の花壇の先に、縦長の看板が見えた。「豊年満作」 と崩れた書体の文字を、強い照明が下から照らしている。何台か前の車が、ウインカーを出して駐車場に入った。どうやら、「道の駅」 に似た施設のようだ。「道の駅」 とは、近頃、地方の主要な道路沿いで見かけるようになった、ドライバーのための休憩施設。真一も立ち寄ったことがあるが、従来型のドライブインより物産が充実している印象だ。うどんやハンバーガーの自販機といった、旧態然としたものはなく、建物も設備も今風で清潔感がある。
「シンさんもトイレ行っておいたほうがいいですよ。盆地を抜けたら、またしばらく山道が続きますから。コンビニとかありませんよ」
ここは、小林の言う通りにしたほうがよさそうだ。シートの背を起こして、軽くひと伸びする。
花壇の切れ間に車が進入してすぐ、駐車場の段差を乗り越えた衝撃で、マサカズがもぞりと目を覚ました。
クワッ、クワッ、と夜ガラス (ゴイサギ) の鳴き声が、上空のそう高くない所を横切っていく。薄暮の空に置き石を置いていくような声に、トイレから出てきたばかりの真一は頭上を見上げた。遠ざかる声の行方を目で追いつつ、もうそんな時期か、と感慨深い気持ちになる。
夜ガラスの声は、夏の夜の記憶と結び付いている。団地の公園で花火をしたとき、水銀灯の下にカブトムシやクワガタを捕りに行ったとき、夜空のいずこに、よくこの声を聞いた。声がすると、決まって友達の誰かが鳴き真似をし、みんなで鳥の影を探した。
煙草を吸ってる、と言った岡崎を表に残し、ほかの三人は店舗に入った。車を降りたとき、マサカズが、小腹が減った、と言ったので、真一と小林が付き合うことにしたのだ。店舗の中には、軽食コーナーもある。
物産売り場をざっと一巡りしたあと、休憩スペースの前に設置された券売機で、マサカズはきつねうどん、小林はソフトクリームの食券を買った。食べたいものが見つからなかった真一は、無料のお茶をすすって待っていることにした。休憩スペースのお茶や水は、食べ物を注文しなくても飲むことができる。
マサカズと小林が食券を持ってカウンターに行っている間、真一は給湯器に三人分のお茶を汲みに行った。広い室内のテーブルに座っている客は、真一たちを除いて二人だけ。静かな空間に、坂本龍一 featuring Sister Mの "The Other Side of Love" が流れている。三月まで放送されていたドラマ 「ストーカー 逃げきれぬ愛」 の主題歌。「ストーカー」 は今まで見過ごされていた犯罪者として、昨年大いに話題になった。
お茶を持って戻ったら、一足早く小林が席に着いていた。いびつに盛り付けられたソフトクリームを食べるのに四苦八苦し、話しかけるのも何だったので、目の前に紙コップを置いて、壁際のテレビに目を向けた。
テレビでは、夕方のニュースがやっていた。昨日一昨日と、二日続けて行われた、飛騨高山の春の祭りが紹介されている。
金の金具があしらわれた大車輪がアップになった。カメラが引いて、山車の車輪だとわかる。絢爛豪華な山車が、古い街並みの中をしずしずと曳かれていく。ゆっくりした動きに、落ち着いた調子のお囃子がよく似合っている。ナレーションによれば、飛騨高山では、山車のことを 「屋台」 と呼ぶらしい。確かに、「祭屋台」 という呼び方を聞いたことがある。この場合の 「屋台」 とは、出店のことではなく、山車のこと。高山祭は京都の祇園祭、埼玉の秩父夜祭と並んで、日本三大美祭に数えられるそうだが、映像からも雅やかな雰囲気が存分に伝わってきた。
場面が替わって、童子の人形がアップにされた。おかっぱ頭に黒い烏帽子。「三番叟」 と、能楽の演目の名前がついた屋台で、からくり人形による舞いが奉納されるところだ。船の舳に似た部分――「機関樋」 というらしい――を所作を交えて人形が進んでいく。黒い箱の前で扇子を開くと、パッと紙吹雪が舞って歓声が上がった。
神楽鈴を手にした人形は、音曲に合わせてひとさし舞う。
箱の蓋が開き、腰を屈めて中を覗いた。
上体を起こしたとき、その顔には黒い翁のお面がついていた。
ここがいちばんの見せ場らしく、観衆がどっと沸いた。
カメラが再び人形を捉える。
鳴り響く拍手と歓声の中、童子の人形は、自分が老人になってしまったことも知らぬげに、観衆を見下ろしていた。
番組はCMに入る。
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![鈴木正人](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/135962261/profile_e2080e171cde0be390c191db75c5a9b3.jpg?width=600&crop=1:1,smart)