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【詩】みじめな人生

なんとみじめな人生であろうか。
そう思うことがある。少年の私の
人生は愚かではあったが、決して
みじめではなかった。夢を抱き、
夢を追い、夢に狂っていた。人は
いつみじめになるのだろうか。夢
を抱く精神を失った時か。夢を追
う体力を失った時か。夢に狂う感
覚を失った時か。あの頃のように
愚かにはなれないと、愚かな私は
思う。あの頃の自分を大好きな私
とは対照的に、あの頃のようにな
りたいとは、微塵も思っていない
私がいる。「みじめである」とい
うおよそポジティブとは言えない
感情に対して、私の理性の一派閥
が「人はみじめではいけないのだ
ろうか」と新命題を持ち出し、コ
ペルニクス的転換を試みる。「な
んとみじめな人生か」と思いなが
らも、不思議なほど客観的に自分
を見つめている私がいる。みじめ
であることは「なんか嫌な感じが
する」と声も出さずに信号を送る
私の右側。そんな右側をよそに、
このみじめさの正体はなんなのか
と、ただ必死で顕微鏡を覗き見る、
私の左。縛られないということに
縛られ、枠からはみ出そうという
思考から、はみ出せずにいる。た
くさんの私がいるくせに、「わた
し」はどこにもいない。みじめさ
の正体こそ、この「わたし」であ
る。みじめなまま、みじめさを肯
定して生きるか。みじめを脱し、
みじめさを否定して生きるか。み
じめな二択の中で、もがく。みじ
めさから脱しようと、みじめな今
を生きること。それがみじめさの
肯定になればいいと、私は思う。

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