読むについて考える
既知のものは読めていると錯覚する。
既知のものを読むときは、自分の経験から内容を補完しており
実のところは既知の内容を読んでいるに過ぎない。
真に知的進歩を望むのなら、未知のものを読むべきである。
時として、想像力を働かせる必要があるし、見抜く力、洞察力が必要である。
したがって、イメージできないものを読むのは難しい。
だから、みんな読みやすい既知のものを読む。
今回読んだ、「読みの整理学(著:外山滋比古)」の中で著者はこのようなことを述べていました。
確かに、大学の研究活動で分子、原子サイズのものを扱うことがあるが
目で見えないものはイメージできないから、途中で頭がこんがらがることが多々ある。
一方で、物理の慣性の法則のようなイメージしやすいものは容易に理解した気になる。まあ実際慣性の法則自体は難しい内容ではないので理解しているのですが。
やはり、普段の勉強(研究)においてもイメージできないものは難しいのである。
では、どのようにしたらイメージできない未知のものを読むことができるのか?
自分が子ども、まだ小学生や中学生の頃にヒントがあるのではないか。
子どものときは、学習する内容のほとんどが未知のものであり
それが原因で全然面白く感じなかった。特に古典や日本史。
あんなもの、なんで現代に読まなくちゃいけないんだと常々思ってました笑
ただ、古典や日本史をどのように勉強していたか。
私は、教科書をひたすら何回も繰り返し読んでいました。
この何回も読むということが、未知のものに親近感を覚えるきっかけであり、徐々にコトバとしての意味が理解できるようになってくる。
すると、今まで気づかなった部分に気づくようになった。
大人になると知識も増え、未知のものは減るため
必然と既知のものを読むことが増える。
ただ、知的好奇心を絶やさない大人でありたいため
今後も未知のものを敬遠することなく学んでいきたい。
その度に、おそらく読んでいても分からなくて途中で読まなくなるような事態も起こるだろうが、何度も読むことで昔のように知的成長を遂げたいと思わされる本でしたとさ。