42歳一独身公務員の回想記「夕暮れ早稲田南門通り早稲田どらま館」
あの日。ちょうど20年前。22歳の頃。
僕は3度目の受験でついに志望大学に合格し、三年次編入を果たした。そして大阪から上京した。
3月25日、入学式の少し前に僕は東京荻窪にあるアパートに入居した。六畳一間で家賃は65000円だった。大学で役者をしたい、あわよくばプロになりたい。そのために就活をせず東京の大学に三年次編入したのだ。
夢にまで見た東京生活が始まった。僕は青春真っ只中で、希望しかなかった。ドキドキしかなかった・・・ハズだった。
わずか東京生活3日目。僕は重度のホームシックに陥っていた。
朝、起きると、片思いの女の子に実は彼氏がいたことがわかった瞬間みたいな謎の喪失感が自分に襲いかかってくる。モゾモゾベッドから起き上がり携帯を確認するが誰からも連絡はなく、予定も何もなく、マンホールの底に落ちていくような気持ちになるのだった。
時間を持て余した僕は東京の街を1人フラフラと歩き彷徨うようになる。
アパートにいるのが怖くて、ともかく歩いた。オギクボ、アサガヤ、ナカノ、シンバシ、ギンザ、シブヤ、シンジュク、ロッポンギ・・・。街はキラキラ輝いていたが僕の心は鉛のように重く沈んだままだった。
そんなある日曜日の夕暮れ。地下鉄東西線早稲田駅をでて、早稲田の街をゾンビみたいにフラフラ歩いていた。やることもない、どこかで牛丼かラーメンライスでも食べて帰るかー、と思っていた。
その時。
早稲田南門通り商店街に、ポツン,と小さな映画館らしき建物が現れたのだ。
こんなところに?映画館?なんで?
大阪ではある程度大きな映画館でしか映画を観たことがなかったから、小さな映画館、というものがそもそもカルチャーショックだったのだ。
建物は本来は芝居小屋のようで、今日は映画館として利用されている、ようだった。
「上映会 500円」と黒い看板がポツンと立てかけられていた。そして看板には、当時流行っていた岩井俊二監督の「Love Letter」を彷彿とさせるポスターが貼られてあった。
「なんと!映画が500円で見られる⁈これはラッキー!」
一も二もなくその小さな映画館に身を委ねることにした。500円で映画が観られるなら安いものだ・・。一階の入り口で500円のチケットを買うと、若い学生さんらしき人が2階の客席へと自分を誘導してくれた。階段がギシ、ギシとなった。
こじんまりとした暗闇の空間が現れた。50人くらい入れば満席くらいか。階段状の席になっていた。非常灯の緑色がチカチカ光っていた。座席には座布団。独特の埃っぽい小屋のにおいが懐かしかった。客は僕を含め3人しかいなかった。
やがて、ジーという音と共に真っ白いスクリーンに映像が浮かび、映画は始まった。
舞台は・・北欧。フィンランドらしい。真っ白な雪に包まれた森。その森の中を歩く日本人の大学生の男が主人公らしい。主人公は、死んでしまった自分の友人がどうしても渡したかった手紙を代わりにある人に渡しにいく・・・確かそんなストーリーだった。
雪の森は幻想的で美しかった。その中をひたすらに歩く主人公・・・。
しかし、延々と主人公が雪の森を歩くシーンばかりでなかなかストーリーが進まない。
「これは・・・?」
いつまでたっても知っている俳優さんがでてこないじゃないか・・・。主人公も知らない俳優さんやし・・。あれ?おかしいな?腕時計をチラと見ると、すでに始まって30分も経過しているじゃないか!
その時僕はようやく悟った。
「自主制作映画ってやつか⁈」
それが僕が生まれて初めてみた自主制作映画だったのだ。何かの劇場用映画のリバイバル上映と勘違いしていた僕は、スクリーンの前で正直少し落胆したのだ。
「そうか・・だから500円だったのね・・」
スクリーンでは物語が新しい展開を迎えているらしかった。主人公がようやくに目的地らしき家に着いた!
80歳くらいのおばあちゃんが中からでてくる。フィンランド人のおばあちゃんだ。
「あなたの友人からです」
主人公から手紙を渡されると涙するおばあちゃん。主人公とおばあちゃんはストーブのまえで紅茶を飲みながら談笑する。そして、また帰る時間がやってくる・・・。
手を振りながら家を後にする主人公・・・。その表情はどこか清々しく凛としている・・。彼はフィンランドへの一人旅を決行し、死んでしまった友人との約束を果たしたのだ。音楽盛り上がって・・ 映画は終わった。
「今日はありがとうございました!」
学生のスタッフさんが大きな声で挨拶をしてくれた。まばらな拍手。
「この映画は学生の自主制作映画なんだ・・」
僕は階段を降り、その小さな映画館をでた。
「早稲田どらま館」と書かれてあった。
何か夢でも見ていたような不思議な時間だった。
どらま館をでると、あたりはもう暗く街灯がともっていた。
劇場用映画は見られなかった。だけど、学生が自分で映画を作り、早稲田どらま館で上映しているという事実に、静かな感動を覚えていた。早稲田どらま館の独特な雰囲気もあいまって、僕は1時間半、非日常な映画の世界に没入することができた。
「いいじゃないか、いいじゃないか」
僕は独り言を呟きながら、早稲田の街をぶらぶらと歩き始めるのだったー。
その後、僕は大学の映画研究会に入ることとなる。
[了]
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