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熟達論
私は出来る限り読書をするように決めている。
読むスピードは決して速くはないが、今年に入って数冊読んでいる。
そして早速、衝撃を受ける本に出会うことができた。
元陸上選手でスプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者である為末大さんの本です。
私の肌感でしかないですが、スポーツ選手の著書はあまりコスパがいいイメージがないので手に取ることは少ないのですが、あるVoicyパーソナリティの方がオススメしていたので購入してみた。
まさに痒いところに手が届く素晴らしい本だった。
技術習得(スポーツに限るものではない)のプロセスを丁寧に解説しており、内容がわかりやすいのはもちろん、言語化が非常に上手で2ステップぐらい解像度を上げることができた。
気になった箇所を1つ紹介したい。
「見る」とは「分ける」こと
見て理解する。見れば分かる。
このことに私は特別な疑問を抱くことはなかったが、「見る」とは?と聞かれると「認識する」ぐらいにしか思っていなかった。
間違いではないんだろうけど、「分ける」と聞いて腹落ちした。
技術素習得していく過程で一連で捉えていたものの境目見え、違いが分かるようになり、言語化して分けることができるようになる。
言語化によって、映像として見るだけでは伝わらない「感覚」を理解できるようになる。
「分て捉える」ことができる状態では、意識せずとも行うことができるし、余裕が生まれる。
ただし、「分ける」ことによって必ず何かを取りこぼしていることも認識しなくてはいけない。
私たちは全てを意識することはできないから、「分ける」ことによって言語化された部分の外側(言語化されていない部分)を意識の外に流してしまって、認識すらされないものにしている。
言語化されるのは重要な部分、そうでない部分は認識されないけれど、分けることによって部分部分に注意を向けて全体を掴むことができる。
5段階に分けて書かれた熟達まで過程がどれも論理的に解説されており、学びのモチベーションも上げてくれる内容だった。
読み始めたら、やめ時を失うくらい夢中になってしまう内容
何であっても「学び」や「成長」に関心のある人は是非手に取ってもらいたい。
今日もいい1日です。