大切なのは語られない部分
問題を抱えた時に過去の事例に頼り、過去から学ぶことが多い。
私が本を読むことも、ある意味その繰り返しと言える。
私なんかが悩んでいることは、先人たちがすでに悩み尽くしていることが多く、普段からそんな巨人(先人)の肩に乗って私は生活をしている。
誰かが既に解答を出してくれているものを検索する際、まず結果(解答)が求めるものか、次に結果までの論理が自分の中で腑に落ちるものかに注目している。
しかし、ここで注意しなくてはいけない。
論理が構築されて解答が導き出されているのは当然だけど、最初から論理的であったわけじゃないと言うことです。
つまり、論理的に語られていることは、結論に到達した実際の道筋ではないと言うことです。
“やり方”なんかはまさにそうで、失敗したり、間違えたりを繰り返しながらブラッシュアップされる。余計な部分は削ぎ落とし、効率のいい手順が作られていき、理解されやすいように組み立てられる。
そのため完成までの紆余曲折が語られない(削除されている)ことが多い。
しかし、実際に重要なのはこの“語られない部分”であったりする。そこには、陥りがちな問題や悩みがあって、そこをすっ飛ばしてしまうことは本当の学びに繋がりにくいからです。
私の中に在って、うまく言語化できないところですが、失敗を経験した方がいいと言う理由には”たまたま成功”があるからです。
成功してしまうと、それで終わってしまうのであれば、失敗を多く経験して、成功の解像度をもっとあげるべきだと思います。
論理が構築されるまでの紆余曲折が重要だと考えるのはそのためです。
なんなら成功の方法なんていうのにはあまり価値がなく、ただの結果でしかない。
本当に大切なのは、至る経緯、コンテクスト、紆余曲折だと思っています。
しかし、ここで難しいのは、できる人にできない人の感覚は分からないということです。
スポーツなんかがその典型だと思っています。
プロサッカー選手のシュートフォームをいくら真似たって、同じようにボールを蹴れるとは限りません。
重心の掛け方、力の伝え方、踏み込む角度、まさに感覚的な部分です。
これを必死に言語化したとしても伝わらない。
プロ選手も初めは素人であって、通ってきた道なのに、できるようになった途端に上位互換となり、無意識の領域になってしまう。
意識しなくてもできる人と意識しないとできない人では、分かりあうことが難しいと思います。
そんなことが思考過程にもあって、わかる人には分かる状態になってします。
「できる人は〇〇をやっている」、「〇〇習慣10選」みたいなタイトルの本が多く存在しますが、これは思考過程をすっ飛ばして、具体的な結果だけが書かれているものも多い。
正解が書かれていると思って購入し、読んで納得して実践してみますが、どこか続かないし、効果を得られない。
これは当たり前のことで、プロの技術を教えられても、素人が理解できないのに近いです。
しかしこれを逆説的に考え、まずはプロの型にはめて、なぜそうなるのかを自分の中で試行錯誤し、腹落ちする内容になれば、自分だけの論理が構築されるはずです。
失敗したくない気持ちは分かりますし、最小限の努力で大きな結果(コスパ)を期待する気持ちもわかります。
私もできることなら、最短で成功を得たいです。
ですが、本当に自分を成長させるのは時間をかけてたどり着いた道筋にあるのかもしれないということを認識しておく必要がありますし、多くの成功者と言われる人は、正解かわからずに突き進む混沌とした時期を過ごしているはずです。
みなさんは何を大切にし、どこに時間をかけますか?
私は毎日誘惑と戦い、負けることもありますし、理想と現実の間で悩むこともあります。
今日も紆余曲折しながら、次なる巨人を探して生きていこうと思います。
今日もいい1日です。