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「親だけで子育てしない」…じゃあどうすりゃいいの?

 前回のnote。

 「親だけで子育てしない」…そりゃそうだよなーと思われるのでは。でもそれってどうやったらいいの? という相談を受けることも、少しずつ増えてきました。
 なんか不登校の母のわりにあんたたち楽しみすぎじゃない?? という声もうっすら聞こえてくるようなこないような… 笑

↑ なんやかんや理由つけて、踊っているしね…

「親だけで子育てしない」その時の、親としての役割は、親として私がしていることは何なのだろう…?

「常識的にはよくない」という感情をなるべく持たないようにする、というのが親の役割かも

 親の仕事何にもやっていないじゃんと言われればやっていない私だが、態度として意識していることがある。
 それは「人から常識的には良くない、と思われそうなことも、あえてさらけ出す」こと。その前提として「常識的にはよくない」という感情をなるべく持たないようにする、ということなのだと思う。

 あとは、一般的にはこう言われているけど、私の考えは違うと伝えることとか。その最たるものが「学校へは行くものだ」という常識 笑。

 というのも、私の親がとても真面目で心配性で、道徳的によくないこと、常識からはずれることに対する反応がとても強かった。
 私はそんな親に心配をかけまい、というのと、何よりあれこれ言われるのがいやで隠しまくっていた。でも、隠れてこっそりやって見つかって大騒ぎになってしたりいた。中学の時、塾さぼって彼氏と遊んでた時は大捜索になった 笑。
 大丈夫じゃないのに大丈夫という会社員時代の悪癖は、子ども時代に培われたと思う。

 隠すことが当たり前になるとなにが起こるのか。
 →事実がわからなくなってしまう
 →その子にとってその時に必要なかかわりが見えなくなってしまう

 このことが親になった今、よくわかる。

 たとえば、私が「昼夜逆転はいかがなものか」という風情を娘にちらっとでもみせようものなら、私に起きた時間をごまかして申告する(しっかり寝てます風に)。

 娘の反応を見て、はっとする。

 なので、逆にいうと、ある程度「この人なら何を言っても大丈夫」という関係を周囲につくっておけると、一緒に子どものことについて考えてもらったり、適切な関わりをしてもらいやすくなる。
 
 先日、療育の先生から「最近どう?」と問われた娘がフツーに「昼夜逆転で~」と話していたので、私はハッとして、そして安心した。
 子ども時代の私なら、そこは隠すところ。眉を顰められそうなので。怒られそうなので。

 娘の言葉を聞いた先生は「ハードな運動や作業をするよりも、当面は時差ボケを治す感じで、ゆるゆるいこう」という方針を娘と決めてくれていた。
 娘も納得していた。

コミュニティで大人も子どもも育っていこう

 大人も同じだと思う。私は楽ちん堂を存続させていくため、NPOとしての事務仕事等を手伝っているのだが、正直得意な分野ではなく、先日、勝手な責任感と義務感とたくさんのタスクで動けなくなった。このままだと組織にとってよくないと思い「もう無理―」とギブアップして寝込んだ。
 そしたら、みんなが手を差し伸べてくれて、あっという間にコトが進んで、私が全部やらなきゃいけないと思ってたのは私だけだったんだと気づいた。今までだったら、もっと長いこと抱え込んでひっぱり、手遅れのタイミングで事故るところだった。
 
 これは一つの例だけど、大人にとっても、さらけだしてもよい仲間をつくり、実際にさらけだすことは、大事な技術。
 相手に理解してもらい、相手を理解しようとしながら、新しい関係を築きなおすきっかけなのだと思う。やってみて違ったら、修正すればいいじゃん、的な感じもある。

 家庭内の一対一、二対一でなく、大人も子供もコミュニティで育っている、という感覚がある。
 価値観の相違が起こりやすい夫婦の関係もコミュニティに持ち込めば、改善…するか? 笑 
 それはさておき、ホント子育ては家庭内でしないに限ると心から思っている。
 
 そんなコミュニティを作ったり維持するのは決して簡単ではない。奇跡のような巡り合わせだ。
 けれども、少なくとも「自分をさらけだす」大人が増えれば、もっと社会は生きやすく、みんなイイ感じで育っていけるんじゃないか。

 まずは自分がさらけだしてみて、共感してくれる人がいれば、それがコミュニティの糸口。

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藍@不登校家族のライフシフト
娘との共通の趣味「銭湯めぐり」に使わせていただきます!