「親だけで子育てしない」ことの価値
小3不登校娘、Stay Home期間のおこもりライフを満喫する
緊急事態宣言が解除される1~2週間前から、私には密かに心配して気が重~くなることがあった。
「宣言が解除されても、娘は引きこもって外に出てこないのではなかろうか」
この4月から小3の娘は、小1夏休み明けから不登校になり現在は「学校へ行かない」ことを選択しているホームスクーラーだ。
経緯はこちら ↓
いろんな居場所を探しながら、今、落ち着いているのが「楽ちん堂カフェ」という近所にあるコミュニティカフェ。居場所というよりは、娘にとっては「ホーム」的な場所になっている。第二の家。
ここで女将の森田清子さんと出会い、同じように不登校や発達凸凹のある子を育てるお母さん達と出会ったのが昨年の秋。子どもだけでなく、80歳の料理長や20代の居候さんなど、本当にいろーんな人と関わりながら元気に日々を過ごしている。
ところが、休校期間がはじまり、緊急事態宣言が発令され、娘は自ら「Stay (ホントの)Home」を選んだ。親はお弁当ケータリングの手伝いなどで通っていたにもかかわらず。私はストレスがたまるだろうから、必要な時に対策して行けばいいと思ってたけど、Youtubeなどのキャンペーンの影響が強いらしく、本当に期間中ほとんど外に出なかった。
娘はむしろ「おこもり生活」を満喫していた。
↑ あ、宣言前から既にこもってるや。
↑ 一人でテント張ってるし 笑。
↑ 君はアナグマか…動物の習性に近いものを感じる。
昼夜逆転起こる。親としてどこまで許容するのか。
そのうち、生活のサイクルが昼夜逆転してきた。まあ、そうなるよね…。
でも緊急時の今は、まずはカラダとココロの元気が一番。娘はいつもゴキゲンだから、いっかーと思っていた。緊急時だからね…。
↑ まだ私ものんびり構えている。
日常が戻ってきたら、娘もこれまでのように、私と楽ちん堂に通うのだろうと思っていた。ところが!!
娘、Stay Home期間が終わることに、プレッシャー感じてると!
学校に行きたい子も多いだろうけど、娘のような子も少なくないのだろうなと思う。
一応、数少ない親としての希望を伝える。
「学校は行くかいかないかは自分で決めればいいけど、面白いこと、楽しいことをするには、いろんな人と関わるのが一番だと思う。だから、多くの人が活動している昼間には起きていてほしい」
それが大人になった時に、生きていく術となればいいなと願いつつ。
しかし、そんな親の理屈なんてきく娘ではない。
数日後 ↓
迎合しない小3。
一人で固まらないアイスクリームをひたすら作る、午前4時。
決してコントロールされないその姿勢は、一周まわって清々しい。
「健康でごきげん」もうこれだけでいいや。母ちゃんはそれだけ気にするから、あとは勝手に育ってもらえれば。
もし娘がおこもり生活を続け、楽ちん堂に通わなくなってしまったら、本末転倒ではないか…という思いもよぎった。まあ、そうなったらそうなったで考えよう、と思い迎えた緊急事態宣言解除の翌朝。
「ママと一緒に今日、楽ちん堂に行くー!」
「こんなに緑ってきれいだったっけ?」と久しぶりの新緑に感動し、出してもらったごはんもしっかり食べ(いつもは食べない)、同じようにおこもりから出てきた数人の子どもたちと遊び。
母の心配をよそに、あっさり復活を遂げたのであった。
刺激を与えてくれたのは「拡張家族」
またこういうことは起こるし、決して外に出ることだけが正とも思わないんだけど、家庭内だけだと変化にもっと時間がかかったと思う。同じ人、同じ内容で、同じ方向からの働きかけは刺激がないから。特に親。
刺激を与えてくれたのは、同じく楽ちん堂で過ごす不登校母仲間(母ちゃん隊と名乗っている)。相性や得意不得意はあるが、普段からお互いの子どもと接しているので、親以外の大人から斜めの関わりができるのがとてもよい。なぜか同じことをいっても、親以外の人からの言葉の方が効く。
そんな母ちゃんたちが、息抜きにと、娘を犬の散歩やオンラインの遊びに連れ出してくれた。事前に私に確認の上で、私を介さず直接LINEで娘を誘ってくれて。私がどんなに少しカラダ動かそうよと誘っても、出かけないのに。
期間中1、2回楽ちん堂に行ったときには、同じく昼夜逆転中だった新高校生ただよし君に「昼夜逆転なんて、一日寝なければ治るぜ!」とアドバイスをもらい、やけに「イイことを聞いた」風にうなずいていた。ホントか!?そのほかにも、私の知らないところで、いろんな人から刺激をもらっているはずだ。
実は復活の前日も、私が知らない間に母ちゃん仲間が娘を誘ってくれ、久々犬の散歩にお供させてくれており、その中で宣言解除の話や、明日行く行かない…みたいな話になったみたいで(私が帰った夜6時、すでに娘は寝ていた 笑)。
いや~ホントに家族みたいだ。「拡張家族」と呼んでるんだけど、適切な距離感を保てる、でも深いところでつながっている大切な仲間には感謝しかない。この場所のために、この人たちのために、自分らしくできることを自然に出し合う関係。
とても不思議で、そして尊く、ありがたい。