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ボランティアは悪でビジネスは正義!?

こんにちは。

あなたはボランティアと聞いて
どんなイメージがありますか?

僕はボランティアと聞いたら
昔近所に住んでいたおじさんを
思い出さずにはいられません。


おじさんはとてもやさしい人でした。


僕はそのあまりにも
優しい人柄に惹かれ、
よく会いに行ったものでした。

おじさんはいつも町の
ゴミ掃除をしていました。

家の周りのみならず
最寄り駅から半径1㎞くらいは
すべてこのおじさんが掃除していたようでした。


また、おじさんはそれだけでなく
他の地域でも積極的に活動していました。


他国にいっている時も
しばしばあったようです。


発展途上国を救うという
目標もあったようでした。


俗にいうボランティアに生きる漢、でした。


僕はこころのどこかで
おじさんにあこがれていたのかも
しれません。


おじさんはたいそう
人気者でした。


おじさんはある日、
突然』亡くなりました。


突然というのは、
周りから見た感覚であり、
奥さんに聞くと疲労がかなり
たまっていたようでした。


みんな悲しみました。


僕も悲しくて、悲しくて
泣きました。


僕は

ボランティアが
おじさんを殺した。

そう思いました。


どうやらおじさんの家は
あまり裕福な家ではなかったようです。

おじさん自身も
もう定年を超えていました。


生活水準は決して高いとは言えず、 
それでもおじさんはよく

この町が俺にとっての誇りだ。

そう言って、町を掃除することを
やめなかったそうです。


僕は

ボランティアは悪だ。

ボランティアがおじさんを殺した。

幼心ながら僕はそう思いました。


僕が言いたいのはこのおじさんのケースを
過度に抽象化して、ボランティアは
良くない、と主張したいわけではありません。


幸か不幸か日本には
奉仕精神という美徳」が
文化としてしみこんでいます。

もはや「お金をもらうは悪」という
魂すらも持っている気がします。


僕はこの風潮は間違っている、と
切実に思います。


ボランティアなどの活動は
お金を受け取りません。


しかし、僕はお金を受け取ることより
受け取らないでその活動が継続できないことのほうが
よっぽどだと思うわけです。


おじさんのケースでもこれは説明できます。


おじさんは街をきれいにしたいはず。

これをビジネスとして展開していけば、
もしくはお金を受け取っていれば、
もらっていない時以上に街をきれいにできるでしょう。

ここで思うことが

だれが払うの?

ですよね。

もちろん誰かは特定できないから
税金という制度が存在するわけですね。


おじさんのケースはさておき
世の中の実業は主にこの循環を
生み出し続けています。


特に顧客第一のAmazonは有名ですね。


顧客体験を高めることへの
投資量が半端ではありません。


お金をもらうということは
この責任を負うということです。


価値提供の質を高めるために、
価値提供の幅を広げるために
必要なのです。


根拠もなくイメージだけで、
お金をもらうのは悪と
決めつけるのはナンセンスです。


どうやったら、

「払ってよかった」


と言ってもらえるか。


ここに焦点を当てることが肝要なのです。




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TNK[お金の勉強中→NOTEでアウトプットします]
あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。