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幸せってなんだろう?

こんにちは!!

ここでは、僕自身が
最近常々思う「幸せとは」について
考えてみようかなと思います。

というのも、
こんなことを考えようと思ったきっかけは
知人の死」です。

今シェリー・ケーガン教授の
死とは何か」も愛読しているのですが、

幸せを考えるにおいて、欠かせないのは
」すなわち時間の使い方だと思っています。

わかりやすく言うと、
死ぬまでに何をするのか
ということですね。

僕は大学は人生の春休みといわれているからこそ、
この問いに向かい合える最後の時間なのでは
ないかな、とも本当に感じています。

というのも、
経済発展中や戦争中は「文化」が発達しづらかった
歴史を顧みても十分に予想がつきます。

考えている暇があったら働け
となるわけですからね。

逆に古代ギリシャという超高度の
知的文化が形成された時代は
考えるか女と遊ぶくらいしか
無かったんでしょうね。

これは個人単位で見ても
特に変わらない事実かなというように
思っています。

そういう意味で僕は
大学のうちにいろいろな価値観に
触れておきたいと思い、
留学や海外旅行に精を出しています。

話がそれましたが、
かくかくしかじかで僕は
幸せって何だろうか?
という問いに向き合うことになりました。

ここで思い浮かぶのは、
やはり世界幸福度ランキングですよね。

詳しく気になる方はこれを見てもらえれば
最新の情報が載っています。

ちなみに日本は54位?とかでしたね。

正直日本が何位とか、
今日議論したいのはそういうことでは
まったくもってありません。

注目してほしいのは、
幸福を測る尺度です。

・人口あたりのGDP
・社会的支援
・健康寿命
人生においての選択の自由度
・ボランティア精神
・政府の腐敗度

とまあ、ご丁寧に書かれているので
ちょっくら拝借いたします。

ここで僕が注目したいのは、
太字にしている「選択の自由
という項目ですね。

僕はここに疑問があります。

最近、僕も大学生の手前、
いろいろな大学生と話します。

友達「いやぁ、なんかやりたいよね

誇示「へえ、何やりたいの?」

友達「ん、何だろう?そういわれたらないけど。」

誇示「じゃあいいじゃん。」

友達「でもなんとなくこのまま
   大学卒業は違うんだよなぁ

面白いですよね。

なんとなく、大学の授業をただ受けて
卒業して、社会に出ることに
不安を持っているようです。

ある知り合いの言葉に
人はルールに縛られるのを嫌がっているように見える。
 しかし実は自分で選べないルールに従うのが嫌なんだよ。
 自分で選択さえしていれば幸せを感じるんだよ。

というのがあります。

なるほど、この友達が
やりたいこともなくふわふわしているのも
なんとなく理解できた気がします。

じゃあ、どの大学も選べて、
どの企業でも選び放題だったら
どうなるでしょうね?

それなら、幸せでしょうか?

僕はここに幸せのジレンマを
見出します。

もちろん、自分が好きな女の子だったら
どれだけメンヘラで、どれだけ束縛されても
いいような気がします…(?)

まあ、選べることが幸せっていうのは
わからんでもない、ということです。

でも、選べ過ぎてしまうのって
果たしてどうなのでしょう。

付き合いたい女の子が
100人いたらどうでしょう。

これは何が起きるかというと、
99人を選ばない(捨てる)、という
苦渋の選択をしなくてはならない、
と同義ではないですか?

これはなぜ苦渋になるのでしょうか?

僕はここに全大学生、いや
多くのビジネスマンが見つけ切れていない、
(正直かなり難しい)ポイントが
あると思っています。

それは「人生の軸」です。

つまり、意思決定の際に
「Good or Bad」ではなく、
Yes or No」といえるフィルターです。


「えー、あれもいいな、これもいいな」


こうなってしまうのは、もしかしたら
軸がないのかもしれませんね。

軸を見つけるには、
自分と深く向き合う必要がある
と思います。

僕が昔の知り合いと会って、
最近FXの営業で月30万円稼いでんだよね!
とか言われると、毎度この議論を思い出します。

逆に「だまされた…」という友達もたくさんいます。

僕自身も何度かFXの営業を
かけられたことがあります。

確かに巧みに「Good」だな、と思える話で
30万円のツールを売ろうとしてきます。

「へえ、いいじゃん」とは思えるんです。

でも、「No」なんです。軸があれば。

FXでいうならば、
僕が望むものは何も得られません。

僕はお金を稼ぐためにお金を稼いでいない、
とたくさん稼いで気づきました。

だから、よかろうが、稼げようが、
「No」なのです。

僕は幸せは一つここが大切だな、
と思っています。

しかしそもそも、このようにしなければ、
自分のやりたいこと本気で熱中できるもの
見つかりづらくなってしまったのは
どうしてなのでしょうか?

これも歴史が教えてくれます。

昭和や高度経済成長時代の
日本は「幸福」なムードが
国を覆っていた時代でした。

国全体として、目指す目標が明確で、
目の前の仕事に熱中していたでしょう。

選択の自由はおそらくありませんでした。

それでも人々は幸せを感じていたでしょう。

少なくとも今よりは。

ここにも幸せの不思議な性質
見受けられます。

選べることだけが
幸せなんじゃないかもしれないって
ことですね。

これは何が言いたいかって、
一人一人が考えることが
大切なんじゃないかと思います。

世の中にはあふれるほどの
情報があちらこちらに散らばっています。

もちろん考えるだけじゃなくて、
いろいろな価値観に触れること
とても大切でしょう。

それにおいて、
僕が大切にしているものは
」です。

僕の描く幸せな未来で
必ずそこにいるのは人でした。


あなたにとっては何でしょうか?





あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。