RADWIMPSが見る日本社会とは?
僕はRADWIMPSが大好きです。
もちろん、歌声、音楽的才能、
様々な面での魅力があると思います。
一昔前には「前前前世」が
「君の名は。」ブームによって
とんでもない旋風をもたらしたり。
若者ではない世代の方からも、
そのイメージは強いのではないでしょうか?
しかし、僕がここで紹介したいのは
そのような「有名曲系」ではありません。
RADWIMPSの魅力はなんといっても
ボーカルの野田洋次郎の言葉遊びに
あると思っています。
そこで僕がここであなたに教えたいのが
「記号として」という曲名の曲です。
この歌詞がなんとも風刺的で面白い。
なんだかいろいろ考えさせられるなあ、
と思ったので僕なりに考察してみようかな
と思います。
まず僕が取り上げたい部分の歌詞を
知らない人もいると思うので
紹介します。
今までの日々
ふと思い出したんだ。
土砂降りの雨の中
飛ぶ飛行機の中で
針と糸ひとつ手渡され
始めの合図で
針の穴に糸を通す
それを繰り返すような
DAYS ACE
これからの日々
ふと描き出したんだ
上下左右乱高下
もう吐きそうなんだ
ないてすがったり
落ちて拾ったり
皆様様々
震える手霞ゆく視界
僕の指なぜ八本??
一っ子一人殺さずに
誰にも肩ぶつからずに
いじめずいじめられずに
車にはねられぬように
病、火事、事故、地震
日々紙一重でかわしながら
騙されぬほどにやさしく
嫌味にならぬほどに賢く
生きなさいとさぁはい、そうかい
(略)
とまあこんな歌詞です。
これはなかなか面白い歌詞だな、
と僕は個人的に気に入っています。
僕はこの歌詞を
コモディティ化した人間の風刺なのではないか?
ととらえています。
コモディティ化しているとは、
簡単に言うと「代替可能」である、
ということです。
針の穴に意図を通す単調作業を
やらされている人々の様子が
鮮やかに描き出されていますね。
日々同じようなことの繰り返しで
感情的な起伏のない日々を
描き出していますね。
社会ではどのような位置づけなのでしょうか?
そういえば、最近ニュースで、
技術研修生として日本に来たベトナムの
女性が涙ながらに時給が300円だと訴える
映像を見たのを覚えています。
そんないわゆる現場は
どのような実態なのでしょうか?
僕にもわかりませんが、
彼ら労働者は相当厳しい日々を
送っているのだというメッセージでしょうか?
人も殺さず、肩もぶつからず、
いじめたりいじめられることもなく
車にも引かれない。
病、火事、事故、地震にも
かからずに「荒波立てず」に生きてきた。
そんな人々の苦悩でしょうか?
生活状況に迫りましょう。
日本の労働者階級は
どのような生活を送っているでしょう。
住むアパートはボロボロで、
毎日の食事はカップラーメン。
毎日派遣として様々な現場に行き、
夜は家族を養うために工事現場でしょうか?
単調作業をさせられ、
気が狂いそうになっているでしょうか?
手元も狂い、毎日毎日同じ作業。
自分が人間なのか。
自分はなぜこんなことをしているのか。
いつこんな生活が終わるのか。
そんな絶望的な不安に駆られながら、
ふと手を見たら指が8本に
なっているように見えた。
過酷です。
なぜこんなことに…
今まで悪いことしましたか?神様…。
私は今まで、
一つとして悪いことはしていません。
人様に迷惑をかけたことは
もちろんありません。
危機もいくつも、なんとか
乗り越えてきています。
でもなぜこんな生活なのでしょうか?
毎日借金に追われて、
無心に働く。
こんなことなら生きていないほうが
ましなのではないか?
何度も何度もなきながら頭を下げ、
一日一日を紡いでいくのはもう疲れた。
え?それでも、
そのまま「無難」に生き続けなさい、
って??
そうかい。神様ですら、
私を見放すのか…。
そんな声が聞こえてくるような気がします。
こんな「記号」のような日々を
送っている人のことを
あなたは考えたことがありますか?
否応なしで、このような人々が
いなければ社会は成り立ちません。
今一度見直してみる必要があるのではないか?
その様なメッセージを
僕は感じました。
あなたはどう感じましたか?
ぜひコメントなどで
あなたの解釈を聞かせてください。
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