本厄、女36歳、厄払い代を寄付にまわしてすごした1年
今年は最悪、本厄だった(正確に言うと現在、2022年度末まで本厄です。)
2022年の初め、親や知人、同級生らがしきりに厄払いしろと言ってきた。
正直、私には「厄」がよくわからなかった。
体の不調が出始める年齢の合図だよとかそういうのは知っているけど。
基本占いは信じないし、スピ的なものからは距離もおいている。
でも、否定したり、信じない訳ではない。
神社仏閣には行くし、墓参りもする。昔の人は尊敬に値するし、
決して罰当たりなことはしたくないとは思っている。
ある日、2022年に出産した友人がインスタで「厄年に出産すると、赤ちゃんが体の厄を払ってくれるんだよ~息子に感謝~」というような投稿をしていた。
子供のいない、2022年の出産はもう絶望的な私からすると
『厄年に出産できませんでしたね、ざんね~ん、
体の中の厄が体から出られないね~』と言われているような気さえした。
(個人の感想です、彼女は悪くありません。)
自分勝手な思考、そのものが厄の根源にさえ感じた。(もう一度言いますが、個人の感想です)
だが実際女性は、子供がおらずとも、同じ場所から、毎月体の中のものを、外へ出しているので(月経ですね)
体外へ排出される=体の中の厄が毎月出ているのでは…とも個人的に感じたりした。
(3度言っておきますが、すべて個人の感想です、解釈の問題です。)
厄年。これをなんとか、お守りさんに
守ってもらおう。と、当時、神社で800円の厄除けお守りは購入した。
(800円しか払わずに守ってもらおうとしている図々しさに、少し申し訳ない気持ちは正直ありました。)
そして結局、厄払いの儀式の申し込みはせずに、
代わりに厄払いに充てる予定だったそのお金を
『国境なき医師団』へ寄付してみた。
(それ何?っていう方のためにリンク貼ります
※回し者ではありません)
世界に「厄年」の定義があるのかは知らないけれど、
『ぬわ~今年は厄年だな~気を付けないと~』なんて思いつつ、暖かい部屋でコタツに足をつっこみ、おせちをつまみながら、大好きな家族と過ごした、2022年1月1日朝の私。
同じ新年、劣悪な衛生環境で、戦争や内紛の大地で、5人の子供を育てないといけない、
私と同い年の母親がいたのだ。
その母親は「2022年は私は厄年らしいんだけど、6人目妊娠してるし、出産で厄が出ていくから大丈夫だ~ラッキ~」とは思わないだろう。
私が寄付した金額(5,000円)も大したこともないから、人間の一生を救えたわけでもないと思う。
私が寄付した金額で購入したワクチンで、とある伝染病は防げても、
その人は、2022年の途中で戦争で亡くなってしまったかもしれないし、
他の伝染病にかかって大変な思いをし、後遺症に悩まされているかもしれない。
犯罪をして別の誰かを傷つけてしまったかもしれない。
私は確かに寄付はしたが、現地に行って、直接の手助けをしたわけでもないから、『何もしらないくせに!』と何か知ってる方に罵声を浴びせられても仕方がない。
私自身、振り返れば、2022年は厄年そのものだった。
厄払いをしなかったせいだ、と言われればそうなのかもしれない。
今年は本当に何もできなかった、と思っているし、ましてや一番苦しんでいた、
心と体の調子が狂いまくっていた、
自分自身に気が付つくのが、救ってやるのが、
かなり遅すぎた。
でも、私は今も生きていて、
寒い日にあたたかい部屋で、
noteでたまたま見かけた『寄付してよかったこと』というテーマを見て、
このような記事を書きながら、自分の心を整理できている。
今この瞬間に窓から見える夕方の光がとても美しい。
この機会が、この瞬間が、あのとき、1年前に寄付して良かったことなのかもしれない。と感じている。
やっと、私自身が、厄が払われ、救われたような気がする。