ノマドランド と わたしだけの、美しい景色たち
自由で羨ましいとすら思えた、たくましい老人たちの映画。
こうするしかなかったのか、自ら選んだことなのか。
やめるのも、続けるのも、決めるのはすべて彼らであり、私たち観客ではない。
現在の基準で言えば(潤沢にお金があるわけではないので)貧しいのは確かなのかもしれないが、幸福なのか、不幸なのかは私たちには分からない。
「人生はいくつ、美しいものをみてきたかで決まる。」
「美しいものを、美しいと思えることが素晴らしい人である。」
ある日、私が、自身の境遇を恨んでいるときに、言われた言葉。
劇中に登場する、実際のノマド生活者、スワンキーが話していたことにも
似ていた、だから、私は、思い出すことにする。
彼らに敬意を表して、勝手に、遠く離れた日本で。ひっそり、私は私だけの美しい思い出たちを、思い出す。
ロンドンの地下鉄。人がどんどん入れ替わり、疲れた人々と、家路につく。静かな車内。何度もチカチカ電気が停電し、時々、携帯の電波も途切れる。動画が止まったまま、見知った駅に着く。
夜の静かな、ドイツ、ライン川。振り向くと、川沿いの船から聞こえてくる、さっきまで自分もその雑踏の一部だった、パーティの声。静かになって気が付いたけど、カヌーの影響か、足が重い、腕が痛い。でも、夜風はぬるくて、静かで優しい。
地図を見て、適当に来たドイツのハイデルベルグ。適当に出会い、集まった仲間たちと夜明けまでおしゃべり。珍しく蒸し暑い夜だって、話に夢中なら、気が付かない。
夕日のヴェネチア。たくさんの幸せそうな人の歌声と、イタリア語の陽気な響き。私のお酒もすすんで、夕日がグラスの氷を照らしていた。
夜のケルン大聖堂。何度も行ったのに、最後だからか、とても荘厳で、
穏やかで、静かな気がする。夕暮れの空の明るい青色と、聖堂の暗闇。
チェコ、プラハへ向かうバスの中。どんよりとした曇り空と、車内に響き渡るスラブ系の言語。窓には、ずっと、どこまでも続くような黒い大地。
夜のポーランド、真っ暗闇。私以外誰もいなくて、暗闇にすいこまれそうになるのに、不思議となんとかやっていけそうな気さえする、秋の夜。
ドイツ、近所の川沿いの道。寒い日も、哀しい日も、悔しい日も、楽しい日だって、そして別れの日も。同じように流れる川と、大きな木々、鳥たち。
香港の公園。緑が生き生きしていて、働く人々はランチタイムに急ぎ足。
蒸し暑さと、緑の濃ゆさと、噴水の音が騒がしさをどんどん増していく。
台湾の夜。夜がふけても公園から聞こえてくる、騒がしい子供たちの声、テラス席で友人たちとカフェタイム。尽きないおしゃべりと、優しいコーヒーの味。
シンガポールの賑やかな夜。人々はみな踊り、笑い、叫ぶ。何度も目が合えば、はじめから知り合いだったみたいに笑いころげる。
韓国のホステルの穏やかな朝。昨日出会ったばかりの、新しい仲間と、リビングですれ違い、言葉を交わす。楽しい朝が始まっていく。二日酔いの頭が痛い。
そして、朝焼けのスコットランド、エディンバラ。
芯まで凍えるような寒さの中、カールトンヒルを目指して歩く、湧き上がるような気持ち。朝日と、光に照らされて光る灰色の建物たち。
辛い日も、寒すぎる日も、暑すぎる日も。寂しくても、お金がなくても。
悔しさでいっぱいで、未来を考えることができなくても。不安だらけで、
どうなるのか分からなくても、これはすべて事実で、私の、私だけの、美しく愛しい景色たち。
美しいものが美しいと思える、こころと、たくさんの美しいものたちを見てきた、ということ。これからも見つけていたい、ということ。
美しい人生。どうだ。と、魅せられた100分だった。