憧れのドイツ生活はなく、そこにあったのは日々の暮らしの連続と優しいごはん
無謀な私は何かを変えたくて、以前、ドイツに住んだ。
結局、今思えば何も変わらなかったかもしれない。
だって今の私は何をしているのか何がしたいのか、自分でもよく分からないし、実際あれほど好きだったドイツ語も、ここ1年くらい休止中というか勉強しても成果が見えていないし。
それでも私は確かにあのときドイツに居た。住んでいた。
貧乏だった私は、渡航後ひどい宿に下宿した。
トイレの電球は切れてたから暗闇で用を足していたし、大家は謎の宗教的メッセージと画像を私に大量に送りつけてくるような人だった。
(万歳!みたいなやつで、無視しても無視しても送り続けてきた。)
完全にスタートで失敗した私は、渡航1週間にして帰りたいを連呼していた。仕事もしていなかったから、学校探しで街を毎日ブラブラし、
見学に行ってはカウンセリングでものすごい学費のコースを提案されたり、家探ししようとして、性的な要求をされるような人に当たったり。
さらに仕事が見つかったものの、銀行で口座開設を断られたり。
もうこの国の全土が敵で、そこらじゅうの人が私を必死で日本へ帰国させようとしてるんじゃないかと本気で思えていた。
自暴自棄モードの私は最強だった。
下宿先を早々にキャンセル申請し、翌日からそのまま小旅行しようと、宿をとった。
翌日から私の家はなくなるのに、もうそういうことは、どうでもよかった。
ドイツ人の友達に早速それを伝えたところ、『おい、とりあえず飯でも食え』と、小旅行前に家に招いてくれて、食事を作ってくれた。
私が初めてヨーロッパで食べた、「私だけの為に誰かが作ってくれた、優しさのこもった食事」だった。そのあと二人でワイン飲んでめちゃくちゃ酔っ払ってあんま覚えていないけど。
現実逃避小旅行は完璧だった。まるで私は旅行インスタグラマーだった。
私のドイツ移住物語は消え、ただの2週間ドイツ旅行のフィナーレにふさわしそうだった。
その帰り道、家探しサイトを見ると、メッセージがあった。
私よりも20歳ほど年上のドイツ人女性からで、『以前一緒に住んで居た方が日本人でキレイ好きだったから、今回も日本人に住んでほしい』という。
早速連絡し、訪問し、家の契約をした。(実際は『もう家ないんですよね~』とドイツ人の友人連れて押しかけ訪問した。)
そこからはとてつもない速さで日々が過ぎていった。
彼女は誰がどう見ても不摂生の私にドン引きし、時々、食事を作ってくれた。
(私は、当時朝ごはんにチョコレート、夜はいちごかポテチを食べていたし、1人分の食事を準備するときは、いつも肉と冷凍ブロッコリーをドカっと焼いて食べていた。『日本人って健康な食事をする人達だと思っていたけど、お前みたいなやつもいるんだな』と思っていたに違いない。)
私がいよいよ本帰国をする最後の夜は悲しくて、寂しかったけど、楽しいことをしよう!と、一緒にケーキを作った。
バターを型に塗り忘れて、オーブンの前で慌ててどうしよう~となって、2人で小躍りしてるみたいになったけど。
憧れだった海外に住んだ経験よりも、海外で仕事をしたことよりも、旅行をしまくった思い出よりも、彼女と共にした普通の日々と、食事の思い出が、私の一番だ。
私は最高のドイツ生活は「あの家で普通に毎日健康に過ごしたことだ」と断言する。
ご飯を作ることは、日々の家事に追われていると、ものすごく嫌で面倒臭いことに感じてしまう。(事実、私は料理は好きではないし…)
でも、誰かのために作る食事は、いつだって、いい思い出、最高の思い出になるのだ。
だから、時々は食べてくれる人を思い出しながら作りたいし、食べる側になったら、食べる以上の喜びを感じていたい。