好きな詩があるということ

学生の時は国語の授業で習うので、心に残っている詩はいくつかあった。

三好達治の「土」、吉野弘の「I was born」「夕焼け」など。

でも大人になってからは詩に触れ合う機会も減り、子供の頃に習った詩に再会したとしても「懐かしいな」にとどまっていた。

小説はたくさん読むのに、詩を読む機会はほとんどなくなっていた。

そんな時、木皿泉脚本の「セクシーボイスアンドロボ」というドラマで、黒田三郎の「ただ過ぎ去るために」という詩の一部を読むシーンに出会った。

詩の言葉が、お腹の奥の方をぎゅーっと押してくる感覚。言葉にしっかり形と重さがあって、それがお腹の奥に跡をつけた感じがしてしばらく放心してしまった。

もちろん木皿泉の詩の紹介の仕方も素晴らしかったんだけど、いや木皿泉はいつだって素晴らしいんだけど、たった数行の言葉にこんな力があるんだと改めて感じた。

後日、その詩が載っている黒田三郎の詩集を買って全文を読んで、また放心。(そういえば放心って心を放つって書くんだ。なんかいい響き、、って脱線しそうになるのはいつものこと)

その日からその詩は、僕の好きな詩になった。

それからは、気になる詩があると、その詩集を買って読むようになり、好きな詩がポツポツと増えていった。

僕が思う詩のいいところは、読んで終わるのではなく、読むことが始まりだということだ。

こんなこと感じているのは自分だけなのかな、と心細くなった時に、前に読んだ詩を思い出して一人じゃないんだと思わせてくれたり。

一歩を踏み出したいけど躊躇してる時、ふっとある詩を思い出すことで奮い立ったり。

もやもやして形にならない思いを「これってあの詩で言ってたこれだ」とすっきりさせてくれたり。

悩んだ時や前を向きたい時やもやもやした時に、ふっと頭の中に登場しては、手を添えたり、背中を押したり、肩をさすってくれたり。好きな詩との出会いは、そんな関係の始まり。

だから、もしよければ、本屋に行った時に詩集コーナーにも足を運んでみてほしい。

直感に身を任せて、何でもいいので一冊詩集を手に取り、言葉の形や重さを感じる詩があれば、読んでみてほしい。

もしかしたらこれから長い付き合いになる詩との出会いかもしれないから。




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