ふぁる

言葉はやっかいだ。囚われたり、傷ついたり、傷つけたり、取り違えたり。そもそも自分の気持…

ふぁる

言葉はやっかいだ。囚われたり、傷ついたり、傷つけたり、取り違えたり。そもそも自分の気持ちをそっくりそのまま伝える言葉もない。 でも希望や進む力をくれたり、願いをかけたり、悲しみを癒すのも言葉だったりする。天邪鬼め。 でもそんな天邪鬼な言葉ともっとなかよくなりたい。

マガジン

  • 言葉となかよくなりたい

    言葉ともっとなかよくなるために、言葉のいいところを探したり、意外な一面を見つけたり、時には嫌な部分を見てしまったり。言葉に関する思いや気づきをとりとめもなく書いていく試み。

  • なんか…気になる

    ふと気づいた、たいしたことないけどなんか気になることを集めているだけなので、基本たいしたことない内容です。

  • 物語のリハビリ

    以前は物語を書いてたけど最近は全然書いてない。企画書ばっかり。それだと生々しい物語や言葉が書けなくなるのでは、と思って実験的にやっている物語をつくる力をリハビる(ほらこういう言葉使っちゃうし)試み。見せるためには書いてないので意味がわからない文ばかりだと思います。

最近の記事

最後のお別れができないということ

これは自分のために書く言葉。 自分の気持ちを救うために書く文章。 あと五分で叔母の告別式が始まる。 香川県高松市で。 そして僕は東京でこの文章を書いている。 僕は昨日の通夜にも行けなかったし、 ほどなく始まる告別式にも参列できない。 叔母の急死を知ったのは弟からの深夜三時の電話だ。親族からの深夜の電話は悪い知らせに決まっている。 少し息を整えて出た。 でもまさか叔母の死の報せだとは思わなかった。不意を突かれて呼吸が苦しくなり、暗闇の中で深呼吸する。 か

    • レンガとボール

      レンガのことばは かたくておもい 丈夫な家をつくる材料になるけど よそよそしくて つめたそうで 人を寄せつけない ボールのことばは やわらかく弾む 何かをつくる材料にはならないけど 手にとって 相手に投げたり 投げ返されたり 丸くて人懐っこいボールを 一緒に投げ合ってるうちに 距離が縮まって仲良くなる ボールのことばを もっと持ちたい

      • 恋いと乞い

        歌人の折口信人は「こふ(恋ふ)はこふ(乞ふ)」だと主張していて「恋というのは魂乞いであって、恋人の魂を乞うことだ」と語っていたらしい。 それで思い出したのが橋口亮輔監督の名作映画「恋人たち」だ。 タイトルに反してこの映画には恋人たちは出てこない。 好きな相手を失った人や想いが届かない人、相手の心が壊れてしまった人などの日々が描かれている。映画の宣伝文句も「それでも人は、生きていく」だ。 この映画の「恋人たち」は「恋う人たち」で、つまり今ここにはいない、いても想いが届かな

        • 大人のほめられ返し

          ほめられるのが苦手だ。 いや、嫌いってわけじゃない。むしろ好きだ。大好きだ。事あるごとにどんどんほめてほしいタイプだ。 なのに苦手な理由は、ほめられた時の返しがうまくできないからだ。いい大人なのに、ほめられると耳を真っ赤にしながら「いや、まあ、そんなことは・・・」とゴニョゴニョしてしまう。情けない。ていうか気持ち悪い。 ついこの間も、セレクトショップの女性の店員さんに着ていた服をほめられてうれしかったのだが(「素敵な服ですね。よくお似合いです」)「あ、、、いや、はあ」と何

        最後のお別れができないということ

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        • 言葉となかよくなりたい
          60本
        • なんか…気になる
          21本
        • 物語のリハビリ
          7本

        記事

          莫迦じゃない人間が基礎理論をやるのはよくない

          という言葉が「三体」という本に出てきてずっと気になっている。 直感的に「そうだよな」と腹落ちしたんだけど、なんで腹落ちしたのか説明できないからだ。 基礎理論をするということは知識的には卓越してるんだろうし、頭もいいはずだ。でも莫迦じゃないといけないというのはどういうことだろう。 多分ここでいうバカとはピュアな熱量を持ち続けられるということなんじゃないか。基礎理論はすぐ役にたつわけではないし発見までは地道なトライアンドエラーの繰り返しだ。効率を求める人には難儀な仕事だ。思

          莫迦じゃない人間が基礎理論をやるのはよくない

          わからないって贅沢

          今年ももう終わりで「来年は何をしようかな」と考えているが、何をしたらいいのやらまったくわからん。 いや何となく「こんなことしたい」という目的はハッキリしてるんだけど、その目的のために何をしたらいいのかまったくわからないんだ。 今までの知識や経験も活かせやしない。まったくもう。 こんなことはあまりない。これまでは目的さえ決めればどうすればいいかはすぐわかったし、そしてそれが正解であることが多かった(嫌なやつみたいだな)。 今年は特に仕事においてそんな感じだった。そしてそうな

          わからないって贅沢

          わたしは光をにぎっている

          「自分は光をにぎっている」 山村暮鳥 自分は光をにぎっている いまもいまとてにぎっている しかもおりおり考える この掌をあけてみたら からっぽではあるまいか からっぽであったらどうしよう けれど自分はにぎっている いよいよしっかり握るのだ あんな烈しい暴風(あらし)の中で 掴んだひかりだ はなすものか どんなことがあっても おゝ石になれ、拳 この生きのくるしみ くるしければくるしいほど 自分は光をにぎりしめる いい映画だった。

          わたしは光をにぎっている

          iPhone を叩く

          飛行機で隣に座っている人が、iphoneを叩いていたから何事かと思ったら、何回か叩いたら暗かったiPhone の画面が急にパッと明るくなった。 昔の映りの悪いテレビを直すときのやり方! それがiPhone にも効くってことがなんか微笑ましくて、ちょっとiPhone のことを好きになった。

          iPhone を叩く

          分かり合えないからこそ

          星野源の「ばらばら」という歌が好きだ。 世界はひとつじゃない ああそのまま ばらばらのまま 世界はひとつになれない そのままどこかへいこう この歌詞を読むたびに、人と人とは分かり合えないんだな、と思う。 そして分かり合えなくていいんだ、と思う。 僕は亡くなった祖母が、夫を(つまり僕の祖父を)難病で亡くし、そのあとどんな気持ちで、ひとりで父を育てたか分からない。 父親をはやく亡くした父が、どんな思いで他の家族を眺めていたかもわからないし、祖父が亡くなった年齢を自

          分かり合えないからこそ

          ポケモンGOとサードプレイス

          またいる。 マンションの駐輪場の隅に、老若男女4-5人が集まって顔を寄せ合っている。 まだ朝の7時だというのに。 朝だけではない。昨日の帰宅時19時くらいにも、薄暗がりの中、メンツは違うが4-5人の男女がかたまって立っていた。 怖い。 そして何やらスマホの画面に指を滑らせて、、はい、ポケモンGOです。 すっかり口の端に乗らなくなったが、うちのマンションの駐輪場はポケスポットになっているらしく、常に人がいる状態だ。 この前はハイヤーが停まっていて、後部座席に座って

          ポケモンGOとサードプレイス

          徒党を組む味覚

          何だか気候がおかしくて、いつが季節の変わり目なのか判然としない。 もはや紅葉でも衣替えでもなく、コンビニの店頭で「栗系のものが多くなったな」と思ったら秋、みたいな季節感覚になっている。 そして毎年思うが、季節になったら徒党を組んで店頭に並ぶ味覚って誰が決めてるんだろう?会議とかあるんだろうか。 「えー、今年もそろそろ栗の味覚を並べる時期ですが、異論ないですかな?」 「あの、毎年栗だと代わり映えしないので今年は芋を主役にしては?」 「芋って君、主役としては華がないんじ

          徒党を組む味覚

          椎名林檎と抑圧と

          ある記事を読んだ。 そこでは「いのちの女たちへ」という本のなかのエピソードを紹介していた。 以下、引用する。 「足の悪い仲間の女性の”落ちつきぶり”が気にかかる。一緒に電車に乗っても、彼女は周囲から送られる視線などものともしない。それを見て、あたしは彼女の落ちつきの中に、彼女をとり乱させないこの社会の抑圧を逆倒影に、視る。彼女の生き難さをそこに、視る。とり乱しては生きていけない、というそのことこそ、まさしく何よりも、この社会が彼女に加えている抑圧の本質を物語っているでは

          椎名林檎と抑圧と

          つぶあんマーガリンコッペパンの抗えなさ

          仕事がたてこんでいて、とうとう昨日は休日出勤&深夜残業で会社を出たのが午前3:30だった。 しかもぶっ通しで仕事をしてたのでご飯も食べてない。こんな時間から食べるのもなあと思ったが、痛いくらいお腹が空いてたのでこのままでは眠れないとコンビニに寄った。 軽いもの、とりあえずこの空腹をゼロに戻してくれて余計なプラスをしないもの、と思いながら、セブンイレブンのつぶあんマーガリンコッペパンを手にとって会計する。 たぶん正解は春雨ヌードルだったはずだ。ゼロカロリーのゼリーでもよか

          つぶあんマーガリンコッペパンの抗えなさ

          PARCOはパルコ

          渋谷パルコがリニューアルオープンしたので行ってみた。そしたらPARCOはパルコだったという話。 少し前にオープンしたスクランブルスクエアは「何やら新しいものができるようだぞ」という気分で行ったので 「どこが新しいんだ!(ダンッ!)」な印象だったけど、パルコは昔からよく行ってたので、過度な期待もすることなく、結果パルコっぽいな、と思ってがっかりはしなかった。 「っぽさ」、つまりパーソナリティがはっきりしてていいことは、期待値をコントロールできることだ。応えるだけでもがっかり

          PARCOはパルコ

          みんな何かを証明する必要なんてない

          やっと「キャプテン・マーベル」を観た。もちろん面白かったのだけれど、一番印象に残ったのは「(私はあなたに対して)強さを証明する必要なんてない」というセリフだ。 証明という言葉はいかにも正しそうな顔をしてるから、つい使いがちだ。「これまでの努力を証明するんだ」「ホントにできるって証明しなさい」とか。 そして言われるだけじゃなく、自分でもいつのまにか「僕もやれるって証明してやる」みたいに思うこともある。 でもそれって誰に対してだろう。 これまで努力してきたなら、それを証明

          みんな何かを証明する必要なんてない

          三百六十五歩のマーチの罠

          耳触りがいいだけの言葉が嫌いだ。 化学調味料でつくった、味わいだけで何の栄養分も含まれていない食べ物みたいだから。 そんな言葉を嫌うあまり、耳触りがいいだけに感じるけど実は深い意味がある言葉をスルーしてしまうことがある。 水前寺清子が歌う「三百六十五歩のマーチ」の歌詞もそんな言葉の一つだ。 しあわせは歩いてこない だから歩いてゆくんだね 一日一歩 三日で三歩 三歩進んで 二歩下がる 昭和生まれには馴染みの歌詞だ。 そしてとても耳触りがいい。 とても呑気で、いいこと言っ

          三百六十五歩のマーチの罠