復興シンドローム【2017/01/01~】㉕
震災から6年を迎える2017年もあけた。テレビもない生活が長いせいか、自分には一切のおめでた気分はない。大晦日と元旦はコンビニに出勤し、酔っ払いと里帰り客の相手をする。全く鼻につく連中だ。レジに売るとよく分かる。高慢な被災者が一人、また一人と被災地に解き放たれていく。悲哀の感覚はない。そこには表面上の明るさと、空っ風が吹き抜ける殺伐とした冷ややかな人間関係が垣間見えるだけである。
間違いなく「お金」が我々を分断し、人間関係だけでなく人間そのものにもひびを入れたんだ。ボクや福岡さんは彼らにまるでごみを見るような目で見られ、冷ややかな視線を浴びる。
「どうしてこんな仕事しているの?」
「地元の人?保証金は出てないの?」
「どうせ、どこかからの流れ者でしょ?原発関係からあぶれたのかな」
「今時コンビニで働くなんてね?」
散々な言葉を投げかけられ、自分はすっかり疲弊していた。
「福岡さん、お疲れ様です。今日も疲れましたね」
「おう、そうだな。さっさと帰って雑煮でも食うか」
「自分は寝るだけです。正月だって特に祝うことなんてないし」
「寂しいな。実家には帰んねぇのか?」
「帰んないです、もう帰ることはないでしょう」
縁切りをした遠い過去の話。もう思い出したくもない。世間では何とでもいうがいい。自分は孤高であるとう気高さを居丈高に振りかざし、震災後、何とか生き抜いてきたんだ。ボクはもうこの世には思い残すことは何もない。ただ『生き抜く』ことに関しては手段を選んでいなかった。
「お疲れ様でーす」
コンビニを去ると、家路につく。
途中の街並みでも眺めて帰るかと考え、ハンドルを右にきった。
見渡す限りの仮設住宅だった景色が一変していた。半分以上の仮設住宅がなくなり、整地されていたのだ。もうこれ以上の仮設住宅維持は難しいのだろうか。そして、人の気配がチラホラ見受けられる。めでたい元旦の様相もここでは物寂しい雰囲気が圧倒的に勝っている。冷たい冬の風が西から仮設住宅に向かって吹いている。チラホラ明かりが見えるが、ゆっくりとそして静かに佇む仮設住宅が呼吸をしている。
もう、少しずつボクらの生活は変化している。いや、変化せざるを得ない状態に追いやられていると言った方が正しいのだろうか。
無理やり追い立てられ、この場所すら去らなきゃいけない状態になる人もいるという。居場所が次から次へと目まぐるしく変わる。おそらく老人にはもう耐えられないだろう。コミュニティの崩壊は仮設住宅からも始まっているのだ。多くの人は復興住宅に引っ越しさせられたらしい。そこからはどうやって生活をしていくのだろう。それこそ、福岡さんのように賠償金頼みになるのだろうか。きっとそうなるだろう。もう結果は見えている。
そして、きっとこの光景は近いうちに更地だらけになるはずだ。震災の記憶が消されるように、震災をにおわせるものを全て隠していく。
時間以上に人は残酷になった。すべての景色を関係を人生を記憶を消そうとしている。実際は消えなくて、隠しているだけだということを気が付かないままに。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》