愛するということ(エーリッヒ フロム・ 1956年) を読んでの感想と考えの文 1
エーリッヒ フロム (社会心理学 ユダヤ教徒)の愛するということを、読んで感じたこと、考えたことを書いていきます。
△まず 愛するということは技術であると、フロム先生はいっております、決して運が良ければ 落ちるとかではないと。
△次に 孤立・孤独は強い不安を生むと、その解決策として 人間の様々な活動があるといっています。その活動の歴史が人類の歴史であると。
(私見では 宇宙創生の謎的 話と同じ)
そして、前の不安 解決の為に 祭りや乱交 、 宗教があるとのこと。(その共同体で・そして集団でないと できない)
その共同体(価値観)に参加しない者(できない者)は、酒や麻薬に溺れる者も少なからずいると。(今では鎮痛剤もある)(私見では、人は誰しも、何かに依存しているものだが、ようは比較の問題・程度の問題と考える)
そして 共同体に参加しない者 、酒や麻薬に溺れる者は、罪悪感や良心の呵責に悩まされて また酒や麻薬等に溺れると。(悪いスパイラル)
最悪 自殺へと。
(ちなみに 集団ストーカーは、こういう人間心理を利用して、ターゲットを自殺へと追いこむ、また変な犯罪者へと仕立てる)(心理学というものは、良い面にも 悪い面にも使用できる)
△フロム氏は、文化が発達するに連れ 集団の規模も大きくなるといっています。
(私見で、良いものは人を集めるともいえます、そして人が多い程 いいものが できやすい があると考えます。集積のメリット)
△今現代でも、孤立 孤独を克服する 一般的方法は 集団に同調することと。・ フロム氏
そして、人を集団(社会)に同調させる為に、独裁体制では脅迫を用い、民主主義体制では 暗示と宣伝を用いるとのこと。
このことで、人々は自ら考えて同調したと思っているが、実際は洗脳 ・マインドコントロールによる同調が多いと、民主主義体制では人々は自らすすんで同調していると。・フロム氏
私見では、メディア洗脳が多いと考える。
しかし、独裁体制 (共産主義国?)では フロム氏のこのような本 出版難しいかもしれない。(または、修正されるか)
なんせ全体主義(共産主義?)では、宗教は麻薬だから(この本 聖書からのもの多い)、民主主義国で宗教の力 ある程度 強いことを知っているので。
(また独裁制は、逆に宗教利用するときもあり・人々を大人しくさせるのに一番良い ものは宗教である、ナポレオン ボナパルト談)
そして、独裁体制(一党支配も当てはまる)は 脅迫 用いると書いて しまっているので。
民主主義体制の方がまだ 表現の自由、 良いと考える。(民主主義体制でも、冤罪・捏造・誘導あるが)
それから、人は皆 ほかと違っていたいと望んでいるが、実際の違いは ほんの僅かしかないと。・フロム氏
(まあ、変わったことを 言えばいい、すればいいというものでも ないでしょうが、TVタレント的・プロレス的では 話にならない、そして世の中 一定の規則 ルール・ある種の暗黙の了解は必要 ・ これらの線引きが 難しいですが)
△この書では、平等と同一は違う、ということを書いています。
平等は、差があっても平等
同一は、同じ価値観 同じやり方等でないと いけない。
近年、平等が同一と同じになっていると。(1956年当時・エーリッヒ フロム)(今現代でも、そういう人々いるが、特に老害の者)
・私見では、確かに全体主義的は危険、ある程度ルール と規則いるとしても。
・全体主義は、一気に差別主義・弱い立場の者 迫害になりやすい。
(なにせ、一部のエリートが決めるので。エリートも人間なので、偏った見方しかできない ときがある・強者の理論、 生存者バイアスがある)
△型どうりの生活の者は、他の社会や価値観 、 人生の意味や死があることを知らないと。
・私見で、確かに 人間は 楽したい生きもの なので、そのままのスタイル・価値観でいきたいと思う ところ大である。(心理学の保有効果もある)それから変わるは 努力がつきもの なので、しんどいので嫌がる がある。
やはり、しっかりとした読者体験がいると思う。(子供の頃から)(悪魔の洗脳マシーン、 テレビジョンだけでは問題)
あとは、違った人達との交流もいると考ます。(意思疎通は大事、当然のことですが)
△人間同士の融合(愛)がないと人類は生き延びれないと、フロム氏。
(確かに、争ってばかりいたら滅ぶ。万人の万人に対する闘争ばかりでは 獣より たちが悪い、脳が発達している分)
△フロム氏によると、人間活動で、理由は不安であれ 野心や金銭欲であれ、自分の情熱(情欲)の奴隷になっていると、こういう者は受動的者と。(確かに、過ぎたるは及ばざるが如し)
これに対して、愛は能動的であり 良いことと。(その人にとっても、周りの者にとっても、建設的と)
△愛とは、与えることであり もらうことではないと。(聖書的)
与えるものは、なにも金銭だけではないと。
(私見で・何かを助ける、話を聞く、誉める、励ます、理解を示す、有益な知識 情報を渡す、ユーモア 笑い を届ける 、一緒に時を過ごす、等があると考えます)
・(次へ)
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