客観性の落とし穴・村上靖彦 (精神分析学博士)著を読んでの文 1
※ この書は、客観性と数値化 そしてケアのコミュニティについて 書かれたものです。
そして 客観性と数値化(データ)から 離れた思考法も、提案されている著作です。
・(数値 データ至上主義に、ある面 異議を唱えるもの)
※(本題)
△客観性や数値エビデンスは、現代において 真理と。(一種の信仰と)
しかし 著者は、客観的データがなくても、意味のあるものは あるはずと。
※ 私見では、その通りと思われますし、あと データといっても、大事な要素 抜けている場合もあります。(例・マクナマラの誤謬、人の心理的ものを 一切 考えなかった・米国 ベトナム敗戦の一因)
そして、統計の9割には 意図があると、揶揄される場合もあります。
△本書中には、数値(データ)のみに 価値の重みが置かれた結果、比較(差別とも)と競争が激しくなったと。(金銭の額も含む)
※ 私見では、それも大いに あると思いますが、競争が激しくなった 第一の要因は、やはり 資本主義での 人の欲・得だと考えられます。・自由 平等主義 到来により、固定階級制がなくなった ことにより。
・そして、良い社会には、道徳 (教育)、倫理(観)が必要です。
△本書中に、(講義中)学生の発言で、結局 障害者は不幸だと。
※ 私見では、このことは 比較の問題であります。何に価値を置くかで 違ってくる、自分の価値判断だけでは 分からない問題です。
(世の中は 自分の解釈 次第・シェイクスピア)(著者 村上氏も 同じ様なことを 言われています)
あと私見で、人は(障害者も)同じ様な境遇の 良い仲間が、いると いないのでは、全く違った ものになると考えられます。(当然ですが)
△ 本書には、医師のデータ・数値による、酷い診察ケースのことが、紹介されています。
(本当に?と思う内容です)
△ 客観性は、測定をおこなうものが、人から機械へで、客観性の信頼度が増したと。そして、論理と法則化・数式化へと移っていったとのこと。(データ・数値の絶対化へと)
※ 私見では、このことでも 人間のすることには完璧はなく、過去のにおいても、DNA鑑定での冤罪、金融工学の失敗(リーマンショック)等があります。・何でも 盲信は危険です。
△ 著者 村上氏は、客観化は 私達の経験(プロセス)を言葉(言語)で語ることが できなくなるが問題と、危惧されています。
※ 私的に 逆説的な意味では、主観と感情論ばかりで喋る者は、うるさい・やかましい。(お笑い芸人的)
しかしながら、感情なしには 人間のことは語りえないですし、全ては感情から でもあります。このことから、何にでも、限度がある 節度がいる の、ドストエフスキー的考えが いると 思われます。
※ あと私見では、感情論と対極的な 理性は、高度な 感情エネルギーからと考えます。理性にも 様々な段階・レベルがありますが。(形而上)
△本書に、今や 世界は、ほぼ全てが数値によって評価される時代と。その中でも、統計学が力を持つと。
※ その通りと思います。良くも悪くも。そして 数値化の恩恵も受けています。(ほぼ全ての分野で)
△ 本書中に、テストの成績は、国家や会社組織などによっての 品定めと書かれています。
※ 私見では、確かに それもありますが、一定の基準は 社会にとって必要です。でないと、デタラメな社会になってしまいます。そして、もし 全てくじ引き とかでは、誰も ヤル気を起こさなくなります。・その例が、皆が知っている 社会主義の失敗。大なり小なり、競争原理はいると 考えられます。
あと、能力主義は ある面、一番差別がない と言われています。こういうことも 考えに 入れておかないと 、何かの施策の 失敗に繋がると 考えられます。
そして 現に我々は、能力主義の恩恵にも あずかっています。(様々なものの 発展において)
△本書中には、集団の序列化→差別→最終帰結が、優生思想 と書かれています。
※ 私見で、確かに やり手・強者の理論のみでは そうなってしまいます。
それから 近年では、新優生学があります。人胚選択、遺伝子操作、出生前診断までもが。(いろいろと、一方的にならない様に 注意が必要です・道徳的考えが必要)
△本書中、優生思想で特に利用された のが、知能テスト(IQテスト)であると 記されています。これは ちゃんとした教育を受けてない 黒人・移民に不利になると。
(一昔のアメリカであり・民族のランク付けもあり)
※ 私見では、前記のことは、その通りですし、初めの条件が違えば 結果は全く違うものになるということです。やはり 人間にとって、条件の平等は必要ですし、完璧でなくても 人類が目指すべき 目標です。(それにより、公正な競争・分配へと・完璧な条件の平等は無理。運の要素はどこかに 必ずあるので、富の分配は必要)
△本書中に 世間には、障害者への 差別・偏見があり問題と 記されています。確かに一方的 差別・偏見は問題ありですが、(現実面で)障害者の中には(特に知的・精神障害者)、自己中心で卑怯な者も 探せば結構いる、集団で嫌がらせをする者達もいる、変な演技までする。(その結果 世の中に、自殺者・うつ病・ニート・犯罪者を増やしている)
こちらの方でも、一方的に 弱い立場でというのは 問題があり、一般社会から 反発を受ける 可能性が大です。
注意が必要です。
△ 著者は、一人一人の経験を感じとる 方法を 手にすることが、顔が(個人が)見えなくなる社会に対抗する 手段であると。
※ このことに ついての私見は、全くの正論だと思われますが、一人一人の経験といっても限度があります。(資金面・時間的・方法的)そして、少数派ばかりに合わせると、多数派が損をする ということが ままあります。(逆差別)それから、社会には 少数派の既得権益というのもあります。(社会全体にとって マイナスになっていることもあり)
このことも、注意が必要です。
△ 本書では、夕食でカップラーメンが出てくる、貧困家庭(母親は、うつ病・薬物中毒者)での例が紹介されています。興味深い内容です。
△前記の 貧困家庭の子供、大きくなって最終的には、母親(最後には自殺)の元に生まれて 良かったと、なんだかんだいっても、母は自分のことを思っていてくれたと。
※ 私見では、すこし羨ましくもありますが、前記の母親は、最悪の毒親(新興宗教)ではない。新興宗教系の者は(親は)、子供のことより教祖の決め事 優先、そして 今のレベルでの 学問・科学的からしたら、幼稚で野蛮な信念があり、自殺など絶対しない。そして、周りの まともな感受性ある人には、人生が狂うほどの 大迷惑となります。
・あとは、前記の人、ピークエンドの法則(心理学)も、ある程度 当てはまると思います。
△ 本書では、人の調査においては、対象者の語りから、具体的で複雑な経験を理解する ことが大事であると 書かれています。
※ 私見では、前記のことにより、データは意味を持つと、著者は言いたいらしい。(感覚・感情は大事であると。正しいことです)
それから、このことでの注意としては、人の語りには、嘘もあれば 誇張もあるということです。
△著者(村上氏)は、経験は常に偶然に さらされていると。
※ 私見では、確かにそういう見方もできますが、何かの確率が高ければ、それは 必然といっていいと 考えます。
(例・明日 朝、陽は昇る とか)
・著者は、何十億年後 太陽がとか 書かれているが、遠すぎて非現実的。(人は何十億年も生きられない)そして 想像も 必要ですが、現実と区別がいる、そして現実的に 繋ぐこともいる と考えます。
・それから、世の中は 確率の中にある、です。
△この書には、九鬼周造(元 京都帝国大学教授・哲学者)の、偶然に対する思想が 載っています。
・九鬼の、遭遇(出会い)の偶然 。
このことでは、無限の要素(因果関係)を考慮・計算できれば 、必然と。しかし、それは無理なので 実質的には、偶然であると。
※ 私見では、このことでも 何かの確率が高ければ、必然と見なしてよいと考えられます。確率が低くければ、ただの偶然というに 等しくなります。(たとえ、全ての要因わからずとも)
・(九鬼の)枝分かれの偶然 (私見では 選択の問題)でも、同じことが言えます。あと選択の問題ですので、良い知識・情報があったほうが、良い結果となるが、当然あると思われます。
△九鬼周造の、原始偶然という 思想が 紹介されています。
・九鬼は、ただ在る、としか 言い様がない 存在の事実があると。
出会い・枝分かれ という偶然は、原始偶然に由来すると。
※ 私見では、この原始偶然というのは、宇宙の微調整問題(宇宙・地球に生命 誕生するに都合が良すぎる)と 近いものがあります。
そして、この在る とは、汎神論中で 物語を紡ぐために、在る と考えます。
・(形而上)
△九鬼周造は、偶然が 経験の生々しさに関わると。
※ 私見では、生々しさとは、通り一辺倒でない、面白さ だと思われます。(面白味のある、喜怒哀楽ある、物語へと)
※(次へ)
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