心の中の違和感
noteを始めて7月で気が付けば1年。
去年の今頃、
ある日突然メンタルが
崩壊した。
「最強の女友達、時々、毒。」は
初めてnoteにあげたもの。
毎日、得たいの知れない不安感に
襲われながら起きる朝。
突然やってくる止まらない涙。
息止めてた?と思うほどの呼吸の浅さ。
息子にはバレないようにと
必死で隠してとにかく笑った。
仕事から帰って来てまだ誰もいない家に
入れない。
誰も居ない、音もしない家に入ると
家全体に押し潰されそうな
握り潰されそうな感覚になって
怖かった。玄関のドアを開けた瞬間に
今までに自分に起きた悲しい事辛い事
今までに自分が感じて来た悲しい事辛い事が
重たい泥のようになって雪崩れ込んで来る感覚。
飲み込まれる恐ろしさ。
玄関のドアを開けられない。
家の前のベンチで冷たい缶コーヒーを買って
息子が部活から帰るのを待つ毎日。
「何か外が気持ち良いからさー」なんて
息子にはごまかしながら。
気持ち良いわけないでしょ。この猛暑で。
息子が勘付かない事だけを願いながら
ヘラヘラ笑った。
にっちもさっちも行かなくなり
姉に初めて付き添って貰った
メンタルクリニック。
駅で待ち合わせして、
こんな事に付き合わせている事が
情けなくて情けなくて
駅のホームで泣いたっけ。
とにかくこの状態から抜け出したい
一心で色々調べて
自分との対峙や心の整理整頓、
何んとかそこから脱出する為に
「書いてみる」という事が
自分を救うんじゃないかと
苦しい中やっと見つけた方法。
「note」に出会いました。
あれから1年。
今、振り返ればあっという間だったけど
しんどい1年だった。
もがいてあがいて、
投げ出したくなって、
諦めて、やっぱり諦められなくて、
躓いてばかりの1年。
全部知らねー!
全部わからねー!
一人で誰に怒ってるのか
イラついてるのか。
そしてひたすらこんな
不甲斐ない自分に絶望して
ひたすら落ち込んでポツリと独り言。
「諦めるわけにも行かないじゃん…」
この1年でこの独り言、結構つぶやいた。
「諦めるわけにも行かないじゃん」と
つぶやく時に頭に浮かんでるのは
いつも大切な息子。
彼の存在はほんと。
すごい。
彼が居なければ、
私は私を死ぬまで
理解しようとは思わなかった。
私の人生はこうゆう物が用意されたんだと
心の片隅で思って来た。
頑張れば夢は叶うし、
諦めなければ色んな事の状況が変わる
幸せになれる。
そう。これも知ってる。
でもこれは私は該当しないと思ってた。
私ではない誰かの話だと思ってきた。
場面、場面で
心の辻褄が合わなくてずーっと
得体の知れない「不幸せ感」に
振り回されて、
でもしょうがないよね。
これが私の人生よねとか、
ちょっとそんな自分に少し酔い、
でも納得いってないのに
納得してる振りして自分自身を
見て見ぬ振りしていたと思う。
ずっと自分の中に積もっていく
違和感に振り回されて行く
人生だったと思う。
今も、違和感の正体や
不幸せ感の完全な全容解明には
たどり着いていないけど、
でも「これ何か違うよね」とは
気が付けたし、納得いってないのに、
納得いってる振りはもうしない。
このままの私だと息子に影響が
出ると感じたから自分と向き合う作業を
諦めない事にしたこの1年。
残念な事に息子もまぁまぁ
大きくなっちゃって
子育てのやり直しは出来ないけど
それでも、得たいの知れない不幸せ感に
掴まれてる母親のままでいたら
きっと私の無意識の何かの言動が
息子に良くない事を刷り込んで行ってる
気がするから、せめてせめて今からでも
自分と向き合いながら、なるべく
拗らせていない母親で後残り少ない
子育てをしていきたい。
私だって!
私にだって!
言葉にすると幼く聞こえるけど
自分の中の小さな声を実際に
表に声に出して行きたい(生きたい)
そのためには真剣に自分の事を
知ろうと思う。
知ると言うより心の中にある
いくつもの大きくはないけど
錆びて重い箱を一つづつ開けて
覗いて確認して行こうと思う。
きっと箱の中はどろっとしていて
汚かったら、欠けていたり、
臭かったり触れたくない気持ちに
何度もなって情けなくて
悲しくなったり目を背けたくなったり
すると思うけど、
きっとコツコツと
心の中の箱を綺麗にしたら、
見える景色が、物の見方が
変わる事だけは年の功でわかる。
さてさてどの箱から開けていこう。
noteがこれからも私の記録に
なりますように。
そしていつか息子や家族が
このnoteを開いて読む時に
恥ずかしい自分で居ないように。
覚悟を決めたんだ。
自分で決めたんだ。